せせらぎの小道:構造災害

1960~1980年代のつづきです。

世界中の公害、薬害を観たわけではない。特にイギリスにおける産業革命以後の公害・薬害、日本における明治維新以後の公害・薬害に関心があった。宇井 純 氏の「公害原論」は、「それらがある種の社会経済構造に起因している」、事を明確に示していた。

 1989年にベルリンの壁が崩壊し、続いてソヴィエト連邦の解体があった。東西冷戦構造とアメリカ、ソ連の対立は永遠に続くものと思っていた頭が混乱したのを覚えている。共産主義か資本主義かという思想の対立が何処かに飛んで行ってしまったようにも感じた。

それ以前から、地球環境問題がひとつの論調として叫ばれていた。このままの乱開発が進んでいくと地球が危ないという。地球という星はどんな状態になろうとも、生物が住めなくなったとしても、存在し続けていくのだから、地球が危ないというのは人類が危ないという事なのだと理解できる。

 

1992年、ブラジル、リオデジャネイロにおいて地球サミットが国連主催で開催された。「環境と開発に関するリオデジャネイロ宣言」が出される。

大量生産・大量消費・大量廃棄、という社会経済構造を考え直して「持続可能な」社会経済構造にしなければ人類が危ない・・という概念が提唱されたわけだ。

ここで初めて、私は頭の中で、公害・薬害はこの社会経済構造に起因していると、整理することが出来た。(恥ずかしながら)。

2011年3月11日、東日本大震災原発事故、を構造災害と理解して、「核害」という言葉を使った金井先生の思想に賛同した。世界の原子力災害に目が開けた。日本の公害・薬害、世界の公害・薬害、が見えてきて、そして沖縄も視野に入った。

今、地球温暖化は地球規模の公害であり、コロナ感染症はグローバリゼーションの「つけ」であり構造災害と理解している。

類似した感染症はこれからも「態」を変えて発生してくると考えられる。

 

環境危機の中で、私には、大変に不気味な問題として見えるものがある。「種の絶滅」です。

未だ全体像をつかめていない昆虫の世界にも絶滅種が知られている。一見、自分たちの生活には関係ないように思っている動物や植物の中に絶滅種が有ることを多くの研究者が伝えている。

こういうことというのは、私たちが「これは大変なことだ」と思う時は、すでに私たちの生活が脅かされているときのように思う。地球が危ないのではない、人類が危ないのだと実感する前に何かをせねば。

SDGsは人類の課題としてもあるが、個人の課題としてもあり、職場の課題としてもある。

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石筵、スタジオZAZA、小動物の足跡は「狐キツネ」ということです。かけがえのない友人の足跡とみるか、飼っている「鶏ニワトリ」の敵と観るか?