せせらぎの小道:フレーズ

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今朝、気に入ったフレーズを見た。

命短し返せよ酒場、飲み屋さんは悪くありません。

原典は「命短し恋せよ乙女 ・・熱き血潮の消えぬ間に・・」

現在の社会状況を表現していて面白い。

江戸時代、松平定信さんが極端なデフレ政策を施いたときの落書(寛政の改革)。

「世の中に蚊ほどうるさきものはなし、ブンブブンブ(文武文武)と夜も眠れず」

質素倹約文武両道を勧められても庶民はうるさいばかりで困り果てるという。この逼塞感は現在の状況に匹敵するかも。

「世の中の清き流れに耐えかねて、もとの田沼の濁り恋しき」

 

こういう調子で行ったのが「遠き別れに耐えかねて、この高殿に登るかな」

ここ2年間、紅灯の巷に出ることはなく、その分お小遣いが出来た。それを楽譜の収集にあてたりして、サックス四重奏のスコアを造ってみたりするのが最近の趣味?こういうもののお相手を依頼された方に少しく同情しています。

写真はアサガオ。今の季節でも美しい。

せせらぎの小道:金字塔

2021年9月12日:郡山市・緑水苑

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写真は五百川のほとりにある緑水苑の現在。晩夏、休日なれども観客は私ひとり。贅沢な時間が持てた。

 

1991年5月11日、日本生活協同組合医療部会連合会にて確定された患者の権利章典。私はこの思想のお陰をもって現在も医療活動を続けている・・と思っている。医療における民主主義を論じたものであるが、内容は現代の日本人の対人関係の有り様を指し示していると見ている。

私はこの考え方を2011年3月11日、東日本大震災原発事故のおり、実践に移すことで自分の生き方に確信を持つことが出来た次第です。それ以後、いろんな災害などを含めこの自分たちがいる社会の有り様を観てきたのですが、患者の権利章典の持つ深い思想が、私にとっての拠り所となっていることを実感している。

 

篠崎次男さん、これは金字塔です。航海する人にとっての灯台かも知れないし、羅針盤北極星南十字星に相当するものですよ。私にとってはマルクスケインズ以上のものがあります。一番最初に話を聞いたときには「なんだこの人は」と思ったことは事実ですが、篠崎さん、今はそう思ってはいません。

 

大変に落ち着いた、静かな緑水苑でした。何時もは「変な叔父さんがいる」と思われたくないという多少のテレもあって、義弟を同行するのですが、今日は義弟が腰痛でお悩みだとかで、ひとり緑水苑を独占したことでした。

せせらぎの小道:実の季節

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花木の実を採ってきてはプランターに植えておくという変な習性が私にはある。運良く発芽して今では大木に育っているというものもあった。

椿などは発芽率が高く、楽しみがあるのですが、時には雑草の如く生えそろってしまうこともあり、困ったなあと嘆くこともある。それらの生長を観ていると、どうも先祖返りをするように思う。改良された花木の実は特にそうだ。原種に近い形で成長するということか。

野生種はそのまま逞しく育つようだ。

「発がんというのは先祖返りらしい」という先輩がいた。その方は肝臓がんのことを研究していた方なのだが、肝がん細胞は胎児性抗原を作るのでそのことを先祖返りといったらしい。深みのある洞察だ。

 

プランターには、サクランボの種とか梅の種とか、どれがどれだかわからないほどうまっている。来春が楽しみだし、沢山の芽が出てきたらどうしようという心配もある。

せせらぎの小道:人権

2021年9月5日・母成峠界隈

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トマトと見間違うようなハマナスの実。

 

医療の分野では、ここ30年、人権に関する言葉が多くなってきた。「生まれながらにして基本的人権を有する」というふうに使われるのだが、この人権を承認する社会、あるいは国家(今は国民国家)がなければ画に描いた餅になる。

生存権という言葉に置き換えてみよう。独りだけで主張してもそれを承認する社会がないとただの文章ということにならないか?その主張を否定する人達ばかりの中では、主張する方の分が悪い。

多くの人が承認している社会でも、「生存のために個人が何もしなければ」他人様が何かをしてくれるということはない。

概してこの権利というものは「私はここで生きるから邪魔をしないで欲しい」ということではあるまいか。「その代わりあなた様の生存にも邪魔をしません」。

「ほっとけ俺の人生だ」というロゴの入ったTシャツを来ている人がいた。「ハイ邪魔をしませんよ、私の生存も脅かさないでください」。

 

保険診療の行われている医療の現場ではそうはいかない。「あなたの権利を守りますよ」というサービス産業だからだ。時にはそれを押しつけがましいというふうに感じてくれる人もいる。また時にはサービスが足りないと感じてくれる人もいる。

脅迫するという手段に訴えてサービスを強要する人もいる。

それらは、社会の構成メンバーが人権というものに対する尺度(物差し)にしているものが、どういうものか、ということで決まってくるように思う。

私たちの今の社会は、人権といものの本当の意味を知らないのではあるまいか。何せ外国から輸入された概念に日本語を当てはめただけなのだから。

 

追。パラリンピックを見た。懸命に人権を主張している、人間であることを主張している、真摯な人の姿だと。私の目には映りました。

せせらぎの小道:日本語の混乱

この季節、この蝶は何をしようとしているのだろうかと思った。この場所に朝早く2~3日に亘って住み着いていた様子を確認した。悪天候のもとで動きが鈍そうでしたが。

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郡山看護専門学校看護学科の講義が始まった。現在使われている医療用語のことで自分の頭が混乱している。漢字に変換してあろうが、そのままカタカナで表現してあろうが、厳密に意味を考えるとなかなか他人に正確に伝えられないことに気づく。

それらはここ30年の間に西ヨーロッパ、アメリカ・・から輸入されてきた言葉です。先方では医療用語として使われてはいない言葉が多い。それをむりむり医療用語として使っているところに混乱がある。収まるまで時間がかかりそうだ。

 

CAREという言葉がある。セルフケア(自己管理)というふうに翻訳されて医療用語として使われている。その善し悪しを論じているのではない。混乱のもとを確認したいだけです。

careは羊飼い達が羊を管理?している様を表現しているらしい。転じてキリスト教社会では、迷える子羊たちを教会の牧師(羊飼い)さんが導いている様を現しているようだ。これを医療用語として使っているものだから、そこに混乱のもとがある。

それでも、他に適切な言葉が見つからないこともあり、この言葉が日本語として定着し、欧米の人達が想像する言葉の意味とは全く違った姿で定着するのだが、私たちが矛盾を感じなくなるには時間がかかるということです。

そういう言葉が医療界に限らず、各分野で見られる時代ですから、現在の若者達に物事を講ずる時にある種の違和感を覚えるのだろう。

こういう感覚は、私たちの先達が私たちに物事を伝えようとしたときにも感じたに違いない。

言語の世界におこっている異変は、私の頭に起こっている異変だ。

ハイデルベルグの郊外で教会で開かれたファミリーコンサートを観た。その講堂の両側には個人用の懺悔室?が幾つも用意されていました。

「もし自分がその部屋に入ったなら一生涯、出てこれないのではないかしら?」・・と思いました。

せせらぎの小道:独裁者を渇望する心理

フィナーレというソフトを使って楽譜を写し取る、演奏させてみる。知らない曲でも楽譜にして演奏させるとその曲の雰囲気がある程度つかめるので便利です。これには嵌まってしまう。

楽譜という世界共通の言語は摩訶不思議なものです。

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雑木林は気持ちを落ち着けるのに最適の環境です。カンゾウの中にトラノオを見つけたり、オニユリの葉に蝉の抜け殻を見つけ集めてみたり。こういう余り役に立たないことが好きだ。

 

今世界的なパンデミックのなかにいる。人々は焦燥感の中にある。強力な指導者を求めたり、自らの代わりに決断してくれる人を探したりしやすい。混乱しているときヒトラーはすぐ側にいる。にっこり笑っておいでおいでしている。

最初はパターナリズムに何気なく乗っかって訪れる。現金をばらまく財務大臣とか、マスクを配布する某国の総理大臣とか。

 

 議会制民主主義を支持する常識人はたとえ話し合いにやたらと時間がかかり、非効率的で、すっきりしない妥協点が多くなるとしても、価値観やライフスタイルの違う人達が互いの存在を承認し合う多元的な社会、討議を重んじる社会こそが望ましいと考える。

 しかしながら、バブル崩壊リーマンショック、大震災、原発事故、赤字国債による財政危機など、国家にとっての危機的状況が生じると、多くの人は、時間がかかって、なかなか答えが出ない民主主義的な討論に耐えられなくなる。

進むべき方向についてはっきりトー例え論理的に正しいという裏付けがなくともー「決断」してくれる「指導者」を待望する声が、政治的立場の違いを超えて強くなる。

危機感、焦燥感が拡がると、決断してくれる人に頼りたくなる。

 ヒトラーの称号である「総統」はドイツ語で「Fuhrer」であるが、その原義は「導き手」「指導者」である。彼の率いた政党は国家社会主義労働党です。

先行きが不透明で正しい答えを誰も与えてくれないという焦燥感からはいろんなイズムが飛び出してくる。

せせらぎの小道:これでもかと言うほどの睡蓮

2021年7月9日・蛇ノ鼻公園

 睡蓮の花は水中では開花しない。水面より少し上に開花する。水中花ではない。それでは開花するときに茎の長さを決めるための測定をしなければなるまい。要するに水深というものを計らなければ適当な位置に開花できないことになる。

この辺の機微については寺田寅彦がその随筆において考察を加えている。面白いですよ。

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水中に没してしまっている花は無残な姿なのだが、はてどうしたものか。この場所でずっと何日間もこれらの花の姿を観ていたい気もする。

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季節が過ぎると種子をつけた花は水没していくのか?