最初にバッキンガム宮殿
ロンドンの秋、早朝。
「SDGsなんて表向きは美しいスローガンだけど、本当のところは、グローバル資本主義で繁栄を築いてきた西側諸国をこれまでどおりに優位に立たせるための新しいルールであって、強い国をそのまま強く、弱いところを弱いままに固定させるような弊害しかないと私は思っている。」
私も全くその通りだと思う。MDGsといえば、先進諸国の上から目線の押しつけだし、後進国からクレームがついたのでルールを加えて、、というのがSDGsだし。
私は共産主義者ではないし、資本主義社会が絶対だとも思っていないし、、ただの思索を重ねる人で、政治家でもない。
この立場から考えるのですが、何を見ているかというと、世界の各々の思想の流れの中で、人権というものが如何様に捉えられているか、ということを見ている。
バッキンガム宮殿から次に向かったのはロッチデール市です。生活協同組合の発祥の地と考えられているところです。「STORE」を訪れ「ロッチデール原則」に触れ、それが当時の「人権運動の始まり」であり、その考え方が世界協同組合連合に繋がり、「話が大ざっぱで恐縮です」、世界人権宣言や日本国憲法に受け継がれ、強いては、今、私共が学んでいる「医療生協の患者の権利章典」「医療生協の命の章典」の礎となって、、、、という人権思想のロードを、今辿っている。これを確認しておきたかったわけです。
当施設では、今、「日本高齢者人権宣言」を学びつつあります。これは世界人権宣言と日本国憲法を礎として創案されています。人権思想の流れです。
その中でも述べられていますが、現在のSDGsの考え方は世界人権宣言の考え方を礎石にしています。
この人権思想の流れを見失うと、現実の政治経済状況に心を奪われて、青春時代のように(私の、 )道に迷っているばかり、にならないとも限らない。
SDGsを人権問題として捉えると、私自身の、進むべき方向が見えてくる。
こんな所だろうか。