災害の構造

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2011年(平成23年)5月7日(土)毎日新聞 から
古代郡山湖内被害突出。弱い地盤、家屋倒壊。玉川出身東大大学院生調査。

東日本大震災で10万年前に福島県中部の内陸部にあったとされる古代の湖「郡山湖」の内側で、特に家屋倒壊などの被害が大きかったことが、玉川村出身で東大大学院生の小林達也さん(23)=地理学専攻=の調査で分かった。同じ地域でも湖岸の外側では被害が少なく、小林さんは「建物の老朽化もあるが、湖と被害の大きかった範囲がぴったり一致した」と話している。今月下旬の学会で発表する予定。

 県災害対策本部によると、今回の地震で湖岸付近では揺れによる家屋倒壊は少なかったのに対し、郡山市須賀川市などの内陸部で家屋倒壊や地盤沈下などの被害が続出。

 

一般的に地盤が硬いはずの台地に被害が集中したことに疑問を持ち、4月中旬に現地調査を実施。同じ内陸部でも被害が郡山湖の範囲内に集中しており、特に沼地跡の周辺や河川の跡で被害が大きかったことを突き止めた。

 

この調査から類推したわけですが、現在両市を流れている阿武隈川は郡山湖の一番低いところを流れているということが出来よう。利根川を坂東太郎といってその水害の恐ろしさを感じている人々が少なからずいるわけですが、その傳からいうと阿武隈川の水害も時に巨大なのでこの川は仙道太郎と呼んでも良いかと思う。暴れ川だ。

郡山での水害の様子を振り返ってみると、郡山湖の最深部での被害が大きいと推測される。たとえば水門町界隈。小原田町。

この地域の一番低いところを流れているということは安積原野にすむ人々にとって飲料水はおろか灌漑用水に活用するということもままならなかったはずだ。阿武隈川の水を活用するとすると、上流の白河あたりから水路を建設しなければならないという。

こういった地勢が安積疎水を建設することに繋がり、原野開拓を可能にしたことであるなとおもい、当地の地勢学というものを考えてみた次第です。