古代の湖(11)おくのほそ道

白河の関を通った芭蕉さんと曽良さんは古代の湖のど真ん中を健脚にものを云わせながら福島県中通りを進んでいきます。句会を開いたり、土地の人たちの話を聞いたり、安達ヶ原の鬼婆さんにご挨拶を申し上げたりしながらである。

 

須賀川ーー風流の初め

 

原文 : とかくして越え行くままに、阿武隈川を渡る。左に会津根(あいづね)高く、右に岩城(いわき):相馬:三春の庄(しょう)、常陸(ひたち):下野(しもつけ)の地をさかひて山連なる。影沼(かげぬま)といふ所を行くに、今日は空曇りて物影(ものかげ)映らず。

須賀川の駅に等窮(とうきゅう)といふ者を尋ねて(たづねて)四五日とどめらる。まづ「白河の関いかに越えつるや」と問ふ。「長途の苦しみ、心身疲れ、かつは風景に魂奪われ(たましいうばわれ)懐旧に腸(はらわた)を断(た)ちて、はかばかしう思ひめぐらさず。

風流の初めや奥の田植ゑ歌

むげに越えんもさすがに」と語れば、脇:第三と続けて、三巻(みまき)となしぬ。

 

解説: 等窮(一般には等躬)は芭蕉よりも6才年上の先輩。芭蕉と会うや、早速句会を開いた。たちまち連句三巻を完成した。

 

訳文 : こうして古歌の名所である白河の関を越えて、さらに道を進み、阿武隈川を渡った。左には会津磐梯山が高くそびえ、右には岩城:相馬:三春地方が続いている。また、後ろを見れば、この磐城の国と、通過してきた常陸茨城県):下野(栃木県)との国境をなして、山々が連なっている。(*那須連峰、阿武隈高原のこと)。

影沼(鏡沼)という所を通ったが、今日は曇り空のため、物の影が映らなかった。この沼は、飛鳥が影を映すと古書に記されている。

須賀川という宿場に入り、宿場の長(おさ)を務める俳人の等窮という人物を訪ねて、四、五日世話になることにした。等窮はさっそく、「白河の関越えではどんな句ができましたか」と聞いてきた。そこで、「長旅で心身ともにつかれていたうえに、みごとな景色に気を取られ、しかも白河の関にゆかりのある古歌や故事をしのぶのに精いっぱいでしたから、作句の余裕がありませんでした。

 

風流の初めや奥の田植え歌 

 白河の関を越えて奥州に入って、まず耳にした田植え歌、これがみちのくで味わう最初の風流になる。 季語ーー田植え歌(夏)

 

一句も詠まずに関越えするのも、やはり気がとがめますので、なんとかひねってみました」と弁解したところ、これを発句にして、二句:三句とつづけて、三巻もの連句ができてしまった。

 

芭蕉はこの地方は大変に沼が多いところだと言っています。周囲を見渡せば美しく山々が拡がっているとも言っています。古代の湖の一番低い(深い)ところ(阿武隈川の流れているところ)から周辺の景色を愛でています。絶賛しています。句も出てきませんでしたと。

*そうでしょうとも、そうでしょうとも。

大安場古墳は当時はまだ話題になっていませんので、芭蕉さんといえども記録のしようがありません。

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