古代の湖(5)

2020年8月14日。大安場古墳。この時期、感染症を気にしてか、訪れる人はいない。

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1号墳から安積原野を観る。今朝テレビで観た新潟県越後平野に拡がる福島潟を思い出す。北海道のサロベツ原野とか釧路湿原とかいろんな所を想像した。写真下のガイダンスホールの屋根は出土品の腕輪を模っている。(腕輪形石製品、緑色凝灰岩製)。

遠方(西方)ほぼ中央は額取山。右手に見えるはずの磐梯山安達太良山は雲の中です。額取山の麓に山の井公園があります。ビックアイを探すとその辺りが湖央ということになる。

墳丘を下ってガイダンスホールを訪問。私一人の贅沢な見学。マスク着用あり。

展示ホールに入ると先ずナウマン象の歯の化石、ずっと奥に入ると復元された木棺の中に墓主が正装で横たわっている。訪問者に対して丁重な歓迎の挨拶と自己紹介。何せ私一人だからこの挨拶は私個人に向けられたものである事よ。

「お伺いします。不躾で申し訳ありません。「あさかやま」とはどの山を指すのでしょうか?」

答えてくれます。「それは君たちが自分で学ぶことじゃよ」。

「ところで、あなた様の頭部は、下肢部はどの方向を向いているのでしょうか、頭部は太平洋、足部は日本海と言うことはわかるのですが」

「それは君たちが自分で学ぶことじゃよ」素っ気ない返事でした。

 

原田稔氏の著書より

検討用地図「青森茨城の地形図」に「筑波山」と「建鉾」をプロットし青森まで直線を引いてみた。

それが、「大安場古墳」を直撃し、岩手山姫神山の間をすり抜けて、津軽海峡に抜けた。県中では、全山花崗岩巨岩の岩角山の左脇を通り抜け、県北では、直線が「十万劫山」の山上をまさに山越えした。

 

 「夏井川河口」と「阿賀野川河口」をプロットして線でつないでみた。何故か、東西交通の単なる直線が「大安場古墳」を直撃した。

 

管理人の戯れ言

 現在の郡山駅は磐越線(西、東、線)、東北本線東北新幹線水郡線(起点は安積永盛駅)が交差集中するところとなっている。東北本線と新幹線は東北縦貫道と共に福島の阿津賀志山(国見峠)に向かい、ここからが陸奥、ここまでが北関東という型を示している。

源氏の大将、源 頼朝公はこの阿津賀志山を超えて平泉征伐に向かったわけです。

大安場古墳の墓主が考えた安積沼開拓とこの地の経世済民とはいかなるものであったかと考えをめぐらせる古墳です。

やっぱり「あさかやま」とは「安達太良山のことじゃよ、この当時は安達は未だないし、白河、阿尺、信夫であったからの」

 

このテーマのひと区切りとして「郡山市教育委員会編集、郡山遺跡ガイドブック、大安場古墳と郡山の古墳時代」から抜粋した文と地図を示します。

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本当はここから後なのです。安積采女さん達が登場するのは。

古代の湖、お楽しみいただけましたでしょうか?原田稔さんには断りもなく著書をコピーしここに載せたこと、浅学の輩がいても立ってもいられないような感動を原田稔さんの著書から受けた、ことに免じてどうかお許しをいただけますようお願いいたします。

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病院の屋上から。秋の日の本当の空と安達太良連峰。左手奥は東吾妻。安積沼を想像されたい。