古代の湖(4)

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私の思考はここから始まっている。写真は七海祥子さんからの提供。時は2011年3月11日以降。マスク着用は被爆対策です。

大震災と原発事故。複合災害。生存権を主張しての日々の活動。人々の生きる姿の力強さに震えるほどの感動を覚えた。地震以上の地響きを感じた。ここがおらの故郷としっかり感じた。

この地震災害の構造をどのように説明したら良いのだろうかという疑問に答える形で小池先生の記事に遭遇した。

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 そしてこの地域の、地理、地勢、地質、から古代の湖。ずっと時間を飛ばして縄文弥生古墳時代へ。そして文学に登場するようになる奈良時代(万葉人の話)、「あさかやま」とはどこ?「あさかぬま」とはどこ? 要するに時空を旅している事になるので順不同になり整合性がとれない。訳のわからないブログですねという事になる。が、管理人は結構楽しんでいます。

 

安積原野にはため池が多い。それを活用して全国でも有数の鯉の生産地になっている。鯉を食するという事にある種の違和感を覚えるが、どうでしょうか?

そのため池がですよ!ひょっとして古代の湖の名残だとしたら楽しくない?。そんな事あるはずなかろうなどと言いながら原田稔氏の著書に戻る。

 

 550万年前に大地鳴動する中に満々と水を湛える原始湖沼があった。それが、この地郡山山間盆地で会った。造山運動が継続する中で、その後干上がって陸地と化し、且つ丘陵をも形造った。湖沼があったことを証拠づける真珠岩が、その残滓として残った。

(詳しくは原著を買い求めお読みください。大幅に省略します)

旧石器時代に入り、大和民族の祖先がこの東北の地に足跡を残す。ナウマン象の歯の化石が、磐梯熱海町東部の郡山層上部から発見される。(*この化石は大安場古墳ガイダンスホールで観る事が出来ました。2020.8.14.)

縄文、弥生時代を経て古墳時代に入り、地図上の湖央在りし日の古代湖の東南部分に巨大大安場古墳が築造される。*地図は原田稔氏の著書よりコピーさせていただいた。

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奈良、平安と時代が過ぎゆく中で、安積原野中央古代安積郡の沼沢地「安積沼」が古今の記述に現れ、かすかに古代湖の残影をとどめる。

 

大安場古墳にたどり着きました。それ前に「郡山市史」郡山盆地と古郡山湖より引用

 小池一之(1965)は郡山層上層の細粒堆積物が泥炭層を含み、須賀川付近以南では基盤の矢吹層がつくる矢吹丘陵を島状に残して、その周りに郡山層が堆積している事などから、これを湖沼性堆積物であると推定し、「古郡山湖」が北は本宮町北方から南は矢吹町付近まで拡がっていたと考えた。(*、、、水深の浅い沼沢地とすいそくしています。)

 

いよいよ大安場古墳と縄文人ですが、、、疲れたので、つづき、とします。