せせらぎの小道:資本論

実生30年の栃。今年は花を咲かせず、実もならず、そして落葉も早いように思う。

 

資本論」と言いますと、かつては青白い顔をしてビール瓶の底のようなレンズの眼鏡をかけた天才青年が読んでいて、その青年は共産主義者で、、、等というイメージを持つ方が多かったと思うが、今は違う。

カール・マルクスが「Das Kapital」を世に出したのが1867年。初版は1000部ほど売れたという。その翌年は日本で言うところの明治維新

私は学生時代この日本語訳を読もうとしましたが、言葉が難しく、又言い回しが不思議で、途中でギブアップしている。

今は違う。

斎藤幸平さんが「人新世の資本論」を世に出して以来、これがまた、大変に解りやすく資本論を解説しているものだから、読むのが面白くなってきました。幸平さんが深くマルクスを研究しているということもあるが、今の日本の状況がかつてマルクスが見て考えた大英帝国の様子と重なるところがあると思われるので、余計に、身近な「ものの見方、考え方」を解説する論説として、親しみが湧くのかも知れない。

だからといって「共産主義革命を起こさなければならない」とは思っていません。

更に、NHKテキスト、2021年12月、Eテレ、100分de名著、斎藤幸平、カール・マルクス資本論。好評につき再放送。日本国営放送?が斎藤幸平さんの解説での「資本論」をテキストにして番組を組んでいる。このテキストだけでも面白い。というか現実の問題を理解するのに役に立っている。

更に更に、幸平さんは「大洪水の前に」という著書で、資本論を解説している。

更に更に更に、幸平さん「マンガでわかるマルクス資本論」をあらわし脱成長のヒントを学びましょうと言っています。これも解りやすいです。

同じ斎藤さんでも斎藤孝さんは図解資本論を著して、これも又古典名著のエッセンスを図解している。日本古典文学者と思っていましたが、何の何の。

池上彰さんも黙ってはいられません。「高校生からわかる資本論」という、高校生を対象として行った講義録を著しています。楽しい講義のように思いました。

佐藤優さんも論じています。「いま生きる資本論」G-W-G'(G+g). この記号を見ただけで、これは資本論マルクスの発見。となります。

 

これらの解説を見ながらでも、いま、「資本論」が少しでも解るということに喜びを感じている、と同時に、現在の日本の状況、世界の状況をよく知るという意味で、「資本論」は良きガイドブックだな、と感じ入っている次第です。

しかし、原典は何でこんなに難解で、奥歯にものが挟まったような言い回しをしているのやら解らない。各大学のマルクス経済学を講じる講座が軒並み無くなったというが、私は今こそが、これからこそが出番だと思うのですが。この根性なしが。

せせらぎの小道:遺伝、進化

池田清彦さんは高名な生物学者養老孟司さんと気が合うらしい。

PHP文庫「なぜ生物に寿命はあるのか?」より抜粋。

 ウイルスは恐らく生物の細胞内のDNAが分離・独立して細胞外に出られるようになったものであろう。生命の起源が遺伝系、すなわち自己複製からはじまったと考えると、自己複製の機能しか持たないウイルスこそが生命の原始形態のように感じられても不思議はないが、生命が代謝系からはじまったものであるならば、ウイルスは進化の途中で生じたパラサイトであるとの考えの方が真実に近いように思われる。

 

池田さんには多くの著書があるが、中でも遺伝や進化を論じている所が圧巻です。本当は何にも解っていないのだな、わしらは・・・恥ずかしくなる次第です。

以下の写真のような動物たちが何故か愛おしい・・と思えるから不思議なものです。

STUDIO  ZAZA で。

池田さんは少年の頃不思議に思ったことをズッと今まで、そしてこれからも考えていて、そういう目で生物界のことを考えているように思う。そういう学者が好きだ。

せせらぎの小道:SDGsに関して

最初にバッキンガム宮殿

ロンドンの秋、早朝。

生物学者池田清彦さんはその著書でこんな批評をしている。

「SDGsなんて表向きは美しいスローガンだけど、本当のところは、グローバル資本主義で繁栄を築いてきた西側諸国をこれまでどおりに優位に立たせるための新しいルールであって、強い国をそのまま強く、弱いところを弱いままに固定させるような弊害しかないと私は思っている。」

 

私も全くその通りだと思う。MDGsといえば、先進諸国の上から目線の押しつけだし、後進国からクレームがついたのでルールを加えて、、というのがSDGsだし。

私は共産主義者ではないし、資本主義社会が絶対だとも思っていないし、、ただの思索を重ねる人で、政治家でもない。

この立場から考えるのですが、何を見ているかというと、世界の各々の思想の流れの中で、人権というものが如何様に捉えられているか、ということを見ている。

 

バッキンガム宮殿から次に向かったのはロッチデール市です。生活協同組合の発祥の地と考えられているところです。「STORE」を訪れ「ロッチデール原則」に触れ、それが当時の「人権運動の始まり」であり、その考え方が世界協同組合連合に繋がり、「話が大ざっぱで恐縮です」、世界人権宣言や日本国憲法に受け継がれ、強いては、今、私共が学んでいる「医療生協の患者の権利章典」「医療生協の命の章典」の礎となって、、、、という人権思想のロードを、今辿っている。これを確認しておきたかったわけです。

 

当施設では、今、「日本高齢者人権宣言」を学びつつあります。これは世界人権宣言と日本国憲法を礎として創案されています。人権思想の流れです。

その中でも述べられていますが、現在のSDGsの考え方は世界人権宣言の考え方を礎石にしています。

この人権思想の流れを見失うと、現実の政治経済状況に心を奪われて、青春時代のように(私の、 )道に迷っているばかり、にならないとも限らない。

SDGsを人権問題として捉えると、私自身の、進むべき方向が見えてくる。

こんな所だろうか。

 

エリザベス女王陛下の国葬は、ほんと、当たり前ですが、安倍晋三さんの国葬は?です。

せせらぎの小道:女王陛下

エリザベス女王陛下が亡くなられたという報道はショックでした。

ロンドンが爆撃を受けた際、女王陛下はよその国への避難を勧められたという。その時エリザベスさんは「私はロンドン市民と共に何時までもここに居たい、皆も頑張ってほしい」と述べられたという。神格化されてはいない、親しみの持てる女王陛下であることよと感銘も受けました。

私は女王陛下が大好きなものだから、こういう時には、主義主張も宗教でも何でも女王陛下に合わせてしまう。

女王陛下のために静かな写真を一つプレゼント。

遠い昔トラファルガー広場を訪れ、女王陛下の住むバッキンガム宮殿を遠く見て、衛兵のセレモニーをボンヤリしながら眺めたことを思い出しました。

せせらぎの小道:human rights

栃:約30年前にZAZA店主ご夫妻の協力で実生から育てた栃を移植した。それが今この高さとなり、太陽光を得るために他の木々と競いながら空に向かっている。

今年はついに花を咲かせることなく、実を実らせることなく、秋を迎えることになりそうです。何に原因を求めれば良いのかと思案中。

 

日本高齢者人権宣言(第3次草案)。パンフレットが日本高齢期運動連絡会から発行されています。興味のある方は”日本高齢者人権宣言”というサイトを検索してみれば良いかと思います。

私が注目しているのは一番最後のページの「参考文献・資料」の項です。

この宣言は、日本国憲法(1946年11月3日公布、1947年5月3日施工)と世界人権宣言を基本として成り立っていることが解ります。

この考え方から、コロナパンデミック、ロシアによるウクライナ侵略、を観ています。

 

ZAZAの雑木林を「静寂の姿」として眺めながらこの30年間に亘って思いを巡らせてきた「人権運動」と「平和運動」のことを辿ってみた。

ロッチデール原則 : イギリス産業革命時の労働者達が造った「協同組合」の人権宣言。これがやがて国際協同組合連合(ICA)へ発展する。二つの大戦を経て世界人権宣言へと発展します。

世界人権宣言:日本国憲法の施行より1年ほど後に国連で採択されていますが、日本国憲法の基礎となっています。

医療生協の患者の権利章典:世界人権宣言と日本国憲法を基礎とした人権宣言です。

医療福祉生協連の命の章典:上記患者の権利章典の発展した人権宣言です。

日本高齢者人権宣言:世界人権宣言と日本国憲法を基礎にしています。

医師免許証(日本の)を持って医療機関に勤務しているので、もしこれらの人権宣言が医療を必要とするなら、人権を尊重する科学的根拠に基づいた医療を展開したい、、と考えている。

 

それにしても、栃が花を咲かせない、実を実らせない、ということを、異常気象だけで説明できるものだろうか?

 

せせらぎの小道:民主主義の皮肉

君が25歳で進歩派でないなら心に問題がある。35歳で保守派でないなら頭に問題がある。ウインストン・チャーチル

 

酒が人間をダメにするんじゃない。人間はもともとダメだということを教えてくれるものだ。立川談志

 

民主主義の皮肉 : 成田 悠輔 著 「22世紀の民主主義」より

 

せせらぎの小道:熱夏

熱くて頭が働かない。イメージを涼しくしてみる。

ウクライナのことがあって、それ以後の世界が気になる:というよりこの地域がどうなるのかということが最大の懸念。

globalizationに対してローカル、そして地政(geopolitics)又はnationarism.

 

原発事故もコロナ感染症も今時点の文明の脆弱性を余すところなくえぐり出す。 

コロナ以後の世界というよりも、このコロナがどうなるのかが最大の懸念。医療崩壊が心配されているのですが、すでに崩壊しているというのが現実。政治の脆弱性を抉り出している事は事実なのだが、そうでない政治というのはどういうものかということが出てこない。

世界は何らかの意味で(人権が尊重されるという意味で)良い方向を向いているのかどうかが怪しい。

とにかく熱いんだわ。