せせらぎの小道:吾輩

自らの浅学をいやというほど味わいながら「吾輩」を読む。

吾輩:猫、名前は未だいただいていない。苦沙弥先生。苦沙弥先生夫人。

「酒をもう一杯飲もう」と杯を出す。

「今夜はなかなかあがるのね。もう大分赤くなっていらっしゃいますよ」

「飲むとも。ーー御前世界で一番長い字を知っているか」

「ええ、前の関白太政大臣(さきのかんぱくだじょうだいじん)でしょう」

「それは名前だ。長い字を知っているか」

「字って横文字ですか」

「うん」

「知らないわ、ーー御酒はもういいでしょう、これで御飯になさいな、ねえ」

「いや、まだ飲む。一番長い字を教えてやろうか」

「ええ、そうしたら御飯ですよ」

「Archaiomelsidonophranicherata という字だ」

*注釈 : ギリシャの喜劇作家アリストパネスの作った形容詞。シドンの人、フェリニコスの昔の歌のように愛らしいの意。

「出鱈目でしょう」

「出鱈目なものか希臘語(ギリシャ語)だ」

「なんという字なの、日本語にすれば」

「意味はしらん。ただ綴りだけ知ってるんだ。長く書くと六寸三分位にかける」

*管理人の注釈 :一番長い人の名前といえばやはり「寿限無寿限無。。。。。」でしょうね。

 

苦沙弥先生のことを「吾輩」は語ります。

 ここに住む先生は野中の一軒家に、無名の猫を供にして日月を送る江湖の庶子(民間にいて、世の交わりを避けて日を送る人)であるかの如き感がある。しかし話は過去へ遡らんと(さかのぼらんと)原因が分からない。原因が分からないと、医者でも処方に迷惑する。だからここへ引き越して来た当時からゆっくりと話し始める。

 

「猫」を読んでいて何かを感じたので管理人はここに書いた。当時は日露戦争の頃だから、明治37年朝日新聞の連載。バルチック艦隊は一体どのルートを辿ってやってくるものやら、、と名前のない吾輩も苛立っている。注釈つきの本でないとなかなか読めません。