せせらぎの小道:秋明菊

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秋明菊、学名Anemone hupehensis var・japonica.

菊ではない。キンポウゲ科の植物。近縁のアネモネなどと同様、プロトアネモニンを含み有毒。乳液に触れるとかぶれを引きおこす。

花言葉、「忍耐」「薄れゆく愛情」「淡い思い」「多感な時」。

花の少ないこの季節、淡く目立つ。

 

父親代わりの12才年上の兄がいる。兄嫁の葬儀が私の実家で執り行われた。

幼少の時、私の実家の近くには兵役の経験者が多くいた。狙撃手、衛生兵、工兵、諸々。私の父は志願兵で山下奉文大将のもとでシンガポールまで攻め入る。機械化部隊と言ったそうだが父は戦争体験の話は一切しなかった。よほど辛い思いをしたに違いないと推測している。腰に銃弾を受け、銃弾を抱いたまま早めに帰国。終戦

そのようなところで育ったためにだろうか、先の大戦は日本の軍部がやったことなので私たちには責任がない」という考えには賛同できない・・と今も思っている。

葬儀の読経を聞きながらそのようなことを考えて、父と一緒に眺めていた梅の木が、今は老木となって風前の灯火のような姿であると思い出し、この際、若い梅の木にしようと、家督を継いでいる甥のK君と語らって、そして兄上様の許可を得て、2本の梅を植えることにした。なんの記念植樹になるのだろうかと考えているうちに葬儀は終了した。合掌。

 

日本の公害・薬害というものに学生時代から注目していた。医師になってしばらくは、診療技術の向上をめざし研鑽を積む。紆余曲折を経て今の病院に勤務してから「協同組合」という形態に心惹かれた。ある日、福大の公開講座?に出て1992年のブラジル地球サミットの事を聞いた。長年感じていた公害・薬害に対する疑問の答えがそこにあった。感動した。今それが、SDGsという概念になって人類の将来の姿を提示しているように感じている。

 

「人類はやっとこのような共通テーマで話が出来る時を迎えている」・・「またユニセフのサポーターになろう」・・等と考えている。

せせらぎの小道:気になること

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椿がもう来春のための花芽をつけている。

中秋の名月を少しの時間だけ眺め、月見酒?をし、それも三日間に亘って、家の中で名月を感じながら気になる本を読了。

どうしても気になったので、ここにメモすることにした。

ドイツ人は何故ヒトラーを選んだのか。The death of democracy。ベンジャミン・カーターヘッド。寺西のぶ子 訳。

最終章:トレブリカカ強制収容所アウシュヴィッツ強制収容所、バビ・ヤール大虐殺、第二次世界大戦の最後の数ヶ月にあった死の行進、そのような未来を想像できるドイツ人は、1933年にはほとんどいなかった。考えつかないことを予見しなかったからと行って、彼らを責めることはとうてい出来ない。だが、彼らの無知は過ちにつながり、彼らは自分たちの将来を破滅的に見誤った。後から登場した私たちには、彼らと比べて有利な点がひとつある。彼らの前例があるという点だ。

 

名月と共に過ごすには少し重い内容でしたが、気になることでした。次男のS君が職場を変えた。「〇〇党に入らないか?」と誘われたのを断った様子。法学部出身の彼は何時も「ワイマール共和国はどうしてあのようなことになったのか」と言っていた。自分なりに思うことがあったに違いない。

自分は、何れの政党においても、その政党活動というものが好きではない。然し、単に「リベラリスト」として存在しているのもたやすくはない時代であるということも知っている。そのように存在するのには、大変な学びというのが必要だと、今になって思っている。多くを知らねば、多くを学ばねば。

「竹林の7賢人」:大変ですよこれも。屈原さん、これも命がけ。徒然草吉田兼好):この目の位置が私には合っていそうな気がしている。いざ帰りなん故郷へ:私の故郷はここきりなあい。  人畜無害な夢想家:それもよし。

 

以前、50才の頃、香川県の友人・西村光太郎先生(当時30才代)が当病院に研修に来られた。西村君はその後、香川の民医連、医療生協を離れて四万十川流域の僻地医療に携わった。又々その後北海道に渡り、女満別空港の近くの医療機関で勤め、今はその病院の院長先生になられた。

満月に誘われて、夜中に電話した。もう子供さんが高校生になったという話をしていた。丁度当地に研修に来ていたときの、私の年齢になったと言って懐かしがってくれた。大腸内視鏡の名人になったようだ。なんとまた、う、れ、し、い、電話でした。

 

せせらぎの小道:彼岸

91才のkさんが入院中とのことでお見舞いに参上す。「お彼岸の前に退院したい」とのこと。「もう91才だから・・・」などと遠慮に満ちた事をのたまう。「いちど向こうに行くともう戻ってこれませんよ」などという冗談を言う。病院よりも自宅が良いらしい。

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この花、今、彼岸の季節に咲くから彼岸花という名前がついたのか、彼岸花だからお彼岸の辺りに咲く?。花に意識はないのでこれは人間の勝手な創造ということになるのだが、この花、全草が毒、と言うのはZAZA店主のご説明。

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杜鵑草(ほととぎす)。花言葉「秘めた意志」、これは白杜鵑草(しろほととぎす)。

紫の斑点がない。感激。

 

ZAZA店主が意見書を書き上げた。

(仮称)大滝山風力発電事業環境影響評価準備書に対する意見書。

JR東日本が計画している風力発電事業に対する意見書である。

 

こういった事への発想の原典を、私は1992年ブラジルで開催された地球環境サミット(ブラジルサミット)に置いている。ここでのキーワードは、大量生産大量消費大量廃棄を批判する持続可能な開発(発展)。Sustainnable Development。地球資源を有限とみている。ベルリンの壁崩壊2年後の地球サミットです。

こういう視点を持って木村真三先生の講演を聴いた。

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SDGsと言うのはその流れの中にあります。

 

ついでながら私は医療活動の原点を、1991年日本生協連医療部会連合会が提唱した「患者の権利章典」に置いている。ベルリンの壁崩壊1年後に提唱されたものです。これは医療活動の最前線・現場からの視点であることが、その理由です。

その後、東日本大震災原発事故の折に提唱された医療福祉生協連の「命の章典」というものに姿を変えているのですが、個人的に「これはデスクワークに過ぎるのではないか」という印象を持っているので原典とはしていない。

 

こういうことを言うこと自体、年齢を重ねてしまった、ということでしょうか?

ZAZAの前の林ではもう落ち葉がひらひら?ゆらゆら?と舞い始めている。

 

kさん、無事に冬を越せるだろうか。

 

 

せせらぎの小道:動植物の名前

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柳津虚空蔵尊近くの齋藤清美術館の庭に咲くヤマボウシの近接写真。

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最近読んだ雑誌、望星6月号の表紙からコピー。植物名には漢字の併記を!ということで特集が組まれている。

賛同する。

先日、緑水苑でハギを見た。小さな花を咲かせていたが、これを漢字表記すると「萩」。まさに季節を代表する花木になる。

ツバキは椿と表記される。春を代表する花木ということになる。桜ではないということになるが、春を代表するのは、そういうことは別の所で深く考えることにする。

ハクセンシオマネキという干潟に住む蟹(かに)がいる。白扇潮招と表記する。オスは片方の鋏(はさみ)だけが大きく、それを振り上げる様子が、白い扇を振って潮を招いているように見えることからこの名前がついたらしい。

大金鶏菊(オオキンケイギク):大きな鶏のとさかのような金色をした菊の花。

白鼻芯(ハクビシン):顔の中央部の縦縞(たてしま)が白い鼻のように見える。

抹香鯨(マッコウクジラ):排泄される異物が抹香に似た香気を持つ。

 

山法師はよく松井君と行く大玉カントリークラブで見られる。その花の下で語らうわけではないのだが、最近の医療状況や、私が非常勤講師を務める看護専門学校の話がよく出る。

「学生さんの学ぶ様子にご不満ですか?そういう時には自分の学生時代を思い出してみてよ」・・こういう議論はしない方がよい。

 

指定感染症のことである。今流行の。

当病院は社会正義のもと、弱いものの味方をする病院、というのが創業の志だ。ところが、現在は、院内感染から病院を守るために、職員を守るために、まずい政府の方針を患者さんへ押しつけている状態が続いている。

利用者にとっては指定感染症だろうが通常の感染症だろうが全く関係がない困りごとだ。

政府の方針を説明したところで納得する人はだあれもいない、と見ている。困った困った。

山法師の実が熟れてきた。採取してプランターに播く。

 

逼塞状態に負けてはならない、という悲壮な感じでもないのですが、MozartのEine Kleine Nachtmusik-をサックス四重奏の楽譜にしているところ。もうすぐ第4楽章まで完成しそう。サックスのレッスンを受けているのですが、この曲を中間目標にしようと思っている。呼吸法の鍛錬にしようと思ってはじめたことなのですが、どうも自分はのめり込む性格らしく、この事にも困った困ったである。

 

女性の総理大臣をこの国で見たいものだと思っている。しかしながら?

せせらぎの小道:フレーズ

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今朝、気に入ったフレーズを見た。

命短し返せよ酒場、飲み屋さんは悪くありません。

原典は「命短し恋せよ乙女 ・・熱き血潮の消えぬ間に・・」

現在の社会状況を表現していて面白い。

江戸時代、松平定信さんが極端なデフレ政策を施いたときの落書(寛政の改革)。

「世の中に蚊ほどうるさきものはなし、ブンブブンブ(文武文武)と夜も眠れず」

質素倹約文武両道を勧められても庶民はうるさいばかりで困り果てるという。この逼塞感は現在の状況に匹敵するかも。

「世の中の清き流れに耐えかねて、もとの田沼の濁り恋しき」

 

こういう調子で行ったのが「遠き別れに耐えかねて、この高殿に登るかな」

ここ2年間、紅灯の巷に出ることはなく、その分お小遣いが出来た。それを楽譜の収集にあてたりして、サックス四重奏のスコアを造ってみたりするのが最近の趣味?こういうもののお相手を依頼された方に少しく同情しています。

写真はアサガオ。今の季節でも美しい。

せせらぎの小道:金字塔

2021年9月12日:郡山市・緑水苑

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写真は五百川のほとりにある緑水苑の現在。晩夏、休日なれども観客は私ひとり。贅沢な時間が持てた。

 

1991年5月11日、日本生活協同組合医療部会連合会にて確定された患者の権利章典。私はこの思想のお陰をもって現在も医療活動を続けている・・と思っている。医療における民主主義を論じたものであるが、内容は現代の日本人の対人関係の有り様を指し示していると見ている。

私はこの考え方を2011年3月11日、東日本大震災原発事故のおり、実践に移すことで自分の生き方に確信を持つことが出来た次第です。それ以後、いろんな災害などを含めこの自分たちがいる社会の有り様を観てきたのですが、患者の権利章典の持つ深い思想が、私にとっての拠り所となっていることを実感している。

 

篠崎次男さん、これは金字塔です。航海する人にとっての灯台かも知れないし、羅針盤北極星南十字星に相当するものですよ。私にとってはマルクスケインズ以上のものがあります。一番最初に話を聞いたときには「なんだこの人は」と思ったことは事実ですが、篠崎さん、今はそう思ってはいません。

 

大変に落ち着いた、静かな緑水苑でした。何時もは「変な叔父さんがいる」と思われたくないという多少のテレもあって、義弟を同行するのですが、今日は義弟が腰痛でお悩みだとかで、ひとり緑水苑を独占したことでした。

せせらぎの小道:実の季節

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花木の実を採ってきてはプランターに植えておくという変な習性が私にはある。運良く発芽して今では大木に育っているというものもあった。

椿などは発芽率が高く、楽しみがあるのですが、時には雑草の如く生えそろってしまうこともあり、困ったなあと嘆くこともある。それらの生長を観ていると、どうも先祖返りをするように思う。改良された花木の実は特にそうだ。原種に近い形で成長するということか。

野生種はそのまま逞しく育つようだ。

「発がんというのは先祖返りらしい」という先輩がいた。その方は肝臓がんのことを研究していた方なのだが、肝がん細胞は胎児性抗原を作るのでそのことを先祖返りといったらしい。深みのある洞察だ。

 

プランターには、サクランボの種とか梅の種とか、どれがどれだかわからないほどうまっている。来春が楽しみだし、沢山の芽が出てきたらどうしようという心配もある。