大安場古墳 メモ

こういう話はその土地に住んでいる人と他の地に住んでいる人とでは、伝わり方にかなりの差があることに気づいています。

安藤智重(現安積国造神社宮司)著、安積歴史入門、歴史春秋社、2014年。

12,13,14ページをコピーします。

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古代の安積原野の様子がイメージできる一項です。また日本史的な視野を持って大安場古墳を見ることできる。

安藤智重宮司さんはまたご先祖様が残した「親重覚書」を研究し、郡山宿に一泊した芭蕉さんの句も発見している。

以前にも当ブログにおいて公開した、2019年9月16日福島民友:おくのほそ道回り道:「郡山、田村町、中町」<安積山かたびらほして通りけり>芭蕉の句あった:より抜粋。

 

郡山宿住民の子孫から便りが届いた。句があったのである。郡山を詠んだ芭蕉の句が、さらに芭蕉の句碑も過去にはあった。

<安積山かたびらほして通りけり>

厳密には、現郡山市域の歌枕「安積山(浅香山」を詠み込んだ句だ。かたびら(帷子)は麻などのひとえ着、つまり夏の着衣で、晩夏の季語。同市内の地名「片平」に掛けてある。「(雨あるいは汗で)ぬれた帷子を乾かして安積山の辺り(片平)を通り過ぎたのだなあ」といった意味か。芭蕉が郡山に来た季節、梅雨の晴れ間という状況とも合っている。

 

この句の存在を知らせてくれたのが、安積国造神社宮司安藤智重さん(52)。同神社は郡山宿ができる前からまつられており、古文書も多く所蔵する。句も、第55代宮司親重が残した文書「安藤親重覚書」(天保2年=1831年)に記されていた。

  以下略

 

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芭蕉さん一行は大安場古墳群をかすめて通過したことになる。