せせらぎの小道:「移動ド」「固定ド」「絶対音感」

前回続き

言葉の誕生

養老「例えば、人はリンゴという果物を、全部「リンゴ」という言葉でまとめることができる。感覚が中心の動物は、一個一個のリンゴは別のもので、いちいち「全部違う」と思っているんじゃないでしょうか。そのヒントの一つが、絶対音感なんですよ。動物は絶対音感なんです。音の高さが違うと、「違う音に聞こえる」という、この問題をクリアできない。だから逆に、我々の使っている言葉は、実はすごく変ではあるんですね。同じって言っても、「物理的には」同じって言えません。それを同じと見なすのが言葉であり、情報なんですね。

山極「人間は脳を稼働させて、頭の中の世界をどんどん拡張しているように見えるけど、やっぱり自然の摂理を越えていないって事ですね。」

養老「そうです。自然のベースに完全に入っているんですよ。数学なんかも、人間が頭で考えてると思っているんだけど、多分そうじゃなくて、例えば脳みそを調べてみるといちばんよくわかるのは、「脳みそ自体が外へ出てるな」っていう例がいくつかあるんですよ。そのいちばんの典型がね、「ピアノ」なんですね。ピアノって言う楽器は「経験的に」作れないと思うんです。ピアノの筐体(きょうたい)はつくれますけどね。

山極「弦楽器ですか。」

養老「弦楽器は、経験的に作れますよね。弦が一本あって、ピンと張ったら音が高くなる。太くしたら音が低くなる。いろいろあるでしょう。そこに、箱をつけたら共鳴して、音量が上がる。ピアノはわからないですね。なんでいきなり、あれができてくるのか。」

山極「あれも弦楽器のひとつではあると思いますけどね。」

養老「しかもですよ、鍵盤が全部、等距離に並んでいるんじゃないですか。あんなものを弾くことを考えるんだったら、小指で弾く方は少し大きくするとか、なんかいろいろ変えてもいいはずでしょう。それをあんなふうに、きれいに同じにして配置しているんです。

山極「弦の場合、音はアナログでつながってるけど、鍵盤は切れてますね。」

養老「あれってね、一次聴覚中枢の「神経細胞の並び方」と同じなんですよ。つまり、出してる音が、いわば音の対数をきれいにとって並べてるんです。だから、極端に言えば、十の一乗、二乗、三乗、四乗とすると、それを一、二、三、四と同じ距離で並べている。なんと、聴覚の一次中枢の神経細胞を並べたら、そのままピアノなんですよ。

山極「へえー、数学的原理に基づいてつくられている。」

養老「要するに、対数そのものが「耳」からできているんだと思います。・・・・」

 

面白いっしょ

虫とゴリラ。養老孟司、山極寿一。毎日新聞出版電子版。より養老先生と山極先生の写真を拝借しました。おそらく養老先生のお部屋か研究室かでしょうけど。

養老先生は(上)おそらく大好きな虫に何処かが似ていて、山極先生は永い間研究の対象としたゴリラさんに似てきてしまったように思う。精魂を込めて考えるということはその対象と一体化してしまうことかも知れない。お二方のご許可は得ていません。申し訳ございません。