古代の湖、古郡山湖 (1)

本ブログ「災害の構造」で述べた古代湖について、菅原 稔 著、「郡山は古代湖だった」、歴史春秋社、2020年4月7日初版発行。郡山市史 1 原始、古代、中世、を参考にして想像をめぐらせてみた。

 

安達太良連峰、磐梯山、大安場古墳群、額取山(安積山)。

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上三図は原田稔氏著書よりコピーさせていただきました。最上段は全景図。1200年前の岩代国浅積沼全景 大波 天久 (絵画提供)。中段は左半、下段は右半。

岩代の國 浅香沼春図。中央に聳えるのは安達太良、左は磐梯山。そして安積沼である。

この風景はどこかで見た事がある、はて何処からだろうか?考えていくうちに閃いたのは、独鈷仁吉さんが熱く語っていた「縄文の人たちにあの山たち(安達太良山磐梯山)はどのように映り何を考えさせただろうか?」という言葉。

独鈷さんは埋蔵文化研究に没頭し、郡山市史編纂には山崎義人さんの元で多くの貢献を果たした人だ。大安場古墳群の発掘についてはなお一層熱を帯びて語る人でした。

大安場古墳へも案内していただいた。白河の関址までも足を伸ばしていただいた事もあった。

大安場古墳は縄文、弥生を過ぎて当然古墳時代のものなのだがその古墳の頂点に立って安積原野を見渡したときに、独鈷さんが思い描く「縄文の人たちの見た」あの山達の一端を想像する事が出来た。

下ふたつの写真から安達太良山磐梯山と額取山を探し、上の絵と対比すると安積沼の様子が分かります。それがこのブログのみそとなります。

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写真は大安場史跡公園のホームページのものをコピーさせていただいた。

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安達太良連峰、磐梯山、そして額取山などを眺望しつつ古代郡山湖を想像するわけです。

独鈷さんは会津の生まれだったので、会津の守り磐梯山が気になったのだろうか。安積安達の雄、安達太良は古代郡山湖に影を映し、尻江に妻である吾妻連峰を従えて、、、などなど。そして問題の額取山(安積山?)へと逞しい想像力が働くわけです。

つづく