古代の湖(2)

額取山連峰

奥羽二州の脊梁山脈が奥羽山脈。その山脈で那須連峰と磐梯、吾妻、安達太良連峰を連結するようにして存在するのが額取山連峰(安積山連峰)。朝な夕なにこの峰達を眺め学び育った。額取山連峰には中世の源氏の棟梁達にちなんで命名された峰が並ぶ。額取山、大将旗山、高籏山などなど。御霊櫃峠(ごれいびつとうげ)付近を赤く染め上げるツツジの季節があったり、晩秋の夕刻に全連峰を深紅に染める一時があったりする。春夏秋冬朝昼夕にそれぞれに異なった山肌を見せ古代郡山湖と猪苗代湖を隔てる標高1000メートル前後の連峰。元安積高校山岳部の私にとっては青春の連峰という事になる。

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8月12日(水)。新型コロナウイルス感染症の恐怖と抑鬱感を背負って病院屋上にて〇〇タイム。村田哲二君(テッチャン)や笠原宏男君、根本君達と縦走した額取山連峰が目の前にある。安達太良連峰は雲の中でした。

額取山連峰が雪化粧をするとまた格別の風情がある。島崎藤村の詩を借りれば「緑なす繁縷は萌えず 若草もしくによしなし しろがねの衾の岡辺 日に溶けて 淡雪流る」。ということになり、岡辺は連峰で流れた淡雪は古代の湖に注ぐ。

春は安積の丘の辺に 秋は五十鈴の月影に 集めて成れる 健男児、 達がテッチャンであり宏男君であり ワ、タ、シ であったわけ。

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 額取山は別名安積山とも呼ばれる。万葉集に収められている「安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに」という歌の「安積山」は額取山の事であるという説がある。(郡山市和田町の安積山公園を比定する説もある)。

歌の意味。、、、のように浅い気持ちで私はあなたを思っているのではないよ。前半は浅いという事を導き出す常套句とみる。

額取山の名称の由来。源義家元服の式を挙げた。額髪を剃った場所であるという伝説から。八幡太郎義家である。それから源氏の大将になる(大将旗山)、旗揚げをする(高籏山)となるわけです。

 

虚々実々の話をする。秋にこの連峰を歩いていると、鮮やかすぎる紫の花を見るときがある。リンドウであったりもするが多くはトリカブトクラレ毒を有するこの植物は矢毒として使われていた。ここから続く那須連峰にもトリカブトが目立つ。源氏の武者那須の与一さんはトリカブトを使って狩りをする事に長けていたわけです。

源平の合戦、屋島の戦において見事に舟の上の扇を射落とし、敵味方からやんやの喝采を浴びた。、、とさ。

 

回り道をしてしまった。古代郡山湖の話である。菅原稔さんは地理学、言語学、地勢学を駆使して学術的にも優れた考証を展開している。

そして私は古代郡山湖の存在を確信するに至るわけですが、その前に采女伝説を語らねば郡山っこに対して申し訳が立たない。つづく。