せせらぎの小道:立ち位置を定める

忘れもしない2011年3月11日。迷いに迷って地に足がつかなかったとき先ず主張できたのが「医療生協の患者の権利章典」。この地に於いて「生存権」を主張しようと覚悟する。もう一つこの事態を如何に理解するかと考えあぐねていたときに江川事務長さんが勧めてくれた雑誌、世界SEKAI6月号岩波書店の金井利之論説。

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同事故は10万人近い多数の周辺住民に避難を余儀なくさせ、さらに被爆被害をも発生させた。土壌・海洋や大気・雨の放射能汚染により、広範囲に農産物・海産物や水道水などへの悪影響をもたらした。原子力災害は長期に継続しうる放射能放射線による公害事件でもある。本稿ではこの事態を「核害」として捉え、核害による被災の発生または可能性に直面した原発立地自治体の問題を論じていきたい。・・・

なお、核害をもたらしうるのは原子力発電所に限らない。・・・と記している。

 

学生時代から公害・薬害に興味を持ち社会を見てきた。共産主義国家には「公害・薬害」がない?等という戯言を信じたときもあった。

「核害の街に生きる」という主題を掲げ自分たちの考えを世に問うということも出来た。政治の拙さ・貧しさに気づく。市民の・自分の思考様式が何十年も変わっていないことにも気づく。あるいは何百年も過去の人々の考え方とたいして違わない自分に気づいたりもした。

この論説はそんなことをも考えさせてくれるものでした。

 

今世界中が新型コロナ感染症に頭を痛めている。過去のことどもを学んで得た知識を「これから生きるための知恵」に転換したいものだ。21世紀はウイルスの世紀と言われて久しい。世界政治のトップは〇〇の擦り合いを過去と同じように繰り返している。しかし一般市民は助け合うことができる。この考えが生きるときが又々やってきた。ここに医療生協の「立ち位置」がある。政治任せ、他人任せにしないで「自分任せ」の生き方をこの街に記したいものです。