2023年8月28日。夕方湖南方面から磐梯山、吾妻・安達太良連峰。初秋?
横に延びる林の向こうが猪苗代湖。特にメランコリーな訳ではないのですが、夕刻に三森峠を越えて湖南に至りますと、こういう風景に巡り会うときがある。
風の高原からは天鏡湖が映える。
第51回全国アマチュアオーケストラフェステバル秋田大会。2023年8月20日。
あきた芸術劇場ミルハス大ホール。
全国の腕に自慢のあるアマチュアプレーヤー300人が集い、二つのオーケストラを編成し、演奏会を開く。
フェステバルオーケストラAは佐々木新平さんが指揮、コンサートマスターに西本幸弘さんを招いて、演奏した。
ワーグナー作曲。ニュルンベルグのマイスタージンガーより「第1幕への前奏曲」、ニーベリングの指輪第1夜ワルキューレより「ワルキューレの騎行」。
リヒャルト・シュトラウス作曲。交響詩「ドン・ファン」作品20。
フェステバルオーケストラBは井崎正浩さんが指揮、コンサートマスターに三浦章宏さんを招いて演奏した。
クラリネットが頑張りました。大満足でした。
正味2日間の練習で本番を迎えるメンバー達はきっと疲労困憊でしたでしょう。私はオブザーバーという資格で参加して、練習風景から観賞する。音楽が造られていく過程をつぶさに見せて頂くわけです。至福の3日間でした。
千秋公園のハス。ミルハス(千株のハスという意味らしい)。
郡山市民オーケストラの渡部純子さんはセカンドヴァイオリンのトップとして参加。その練習風景です。指揮者:井崎正浩さん、コンマス:三浦章宏さん。皆さん普段着で練習に取り組んでいます。こういうオーケストラの風景を堪能できる人は数少ない。この会場では私とスタッフの幾人かだけでした。
本番では写真撮影はできません。
音楽を何とか文章にできないかな、などという大それた目論見があるのですが、私には無理。原田マハさんという作家はよく絵画を文章にしているのですが、そのご苦労の程を察するに、私には無理だということが解ります。
2023年8月3日 二本松市高田橋より。本当の空。
二本松藩士・朝河正澄(あさかわまさずみ)を中心としての戊辰戦争での物語を安部龍太郎さんは「維新の肖像」という小説にしている。この朝河正澄は安積中学の先輩・朝河貫一の父親ということになる。かれのエール大学での活動をもこの物語のサブテーマとしています。
朝河達は安達太良連峰本山を「乳首山」(ちくびやま)と呼んでいる。
高校時代に山岳部に所属していた私はこの「乳首山」という呼び名のいわれを紫旗祭の時に遠景写真を見せてもらって「なるほど」と納得したものです。
二本松の方達は何時も遠景を見ていて、昔からこの呼び名に親しんでいたに違いない。
安部龍太郎さんの史観は、司馬遼太郎さんの史観を上回っているのではないかしらと時々思う。(上下を論ずることは無益無意味です)。
アデン アラビヤの冒頭文
”僕は20歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。一歩足を踏みはずせば、いっさいが若者をだめにしてしまうのだ。恋愛も思想も家族を失うことも、大人達の仲間に入ることも。世の中でおのれがどんな役割を果たしているのか知るのは辛いことだ。
とうじ1968年5月はフランス5月革命の真っ最中。カルチェラターン、フランシーヌ、フランスデモ、流行語でした。私も20歳でした。この文に、この言葉に、コロッといかれてしまいまして・・。
右翼も左翼も関係なしで、誰かが歌っていた「青春時代の真ん中は、道に迷っているばかり」・・と言うこととだったのです。本当は。
ニザンは更に続けます。
僕らの世界は何に似ていただろうか。この世界は、ギリシャ人が、雲の形に出来上がりつつあった宇宙の起源にあったとする混沌に似ていた。
ジャンポール=サルトルは評します。
彼は反抗によって革命家になった。そして革命家が戦争に譲歩せねばならなくなったとき、彼は激烈な自己の青春を再び見いだし、反抗者として終わったのだ。彼の言葉は、若く、きびしい言葉だった。これを老いさせてしまったのは、われわれなのだ。
このポール・ニザンの孫息子がエマニュエル・トッドさんと言われている人です。
「日本は核武装すべきですよ」などと、私たちには受け入れがたいことを言う人ですが、トッドさんの世界の見方には賛同するところが多い。(私は)。
何がそうさせるのかと言うと、ポール・ニザンもトッドさんも、その情緒的なところが私には違和感が無い。
朝河正澄もその子寛一も混沌の中にあった時こそ、自らの「人間性」を貫いている。