郡山市民オーケストラの練習風景を観る。岡部富士夫先生や団長の佐藤睦宏さんの許可を得てわがままな観客をさせて頂いている。
その時にA4版、大きめのスコアがあると大変に楽しい体験が味わえる。
ちなみにこのスコアには、最上段から(Brahms Symphonie Nr.1)フルート1,2。オーボエ1,2.クラリネット(B)1,2。ファゴット1,2。コントラファゴット。
ホルン1,2。トランペット(C)1,2。PK in C 1,2。Violine1.Violine2.Viola.Viloncello.
Viola.Violoncello.コントラバス。と並列されている。
指揮者も演奏者もこのスコアを「共通の認識」、あるいは言語として合奏が始まりそして終わる。スコア(総譜)はひとつの書物であり、その中にシルされている諸々の記号なりは”文字”と考えられる。
世界に共通する言語で記されたものがスコアという書物です。この書物だけを読んでいくというのもなかなかに面白いことです。
音符というのはアルファベットに勝るとも劣らない文字の如く見える。ここには素晴らしい世界がある。
ところで“運命”は第1楽章第1小節目が休符で始まる。(弱起)。指揮者はこれをどのようにタクトを振ってはじめるのだろうか。興味がある。
確かカラヤンという方は1小節先にタクトを振って行くと聞く。演奏者は1小節先のカラヤンの姿を見て、今現在の小節を演奏をしている。不思議な世界だと思う。
これは様式の整然とした美の世界だ。
ただしこの世の中には指揮者のいない少人数の楽団もある。ある約束事があるだけで、総譜が存在しないで演奏が進んで行く。プレイヤーはイマジネーションで結合している場合が多いらしい。演奏中に、プレイヤーは自分の出す音で、他のプレイヤーと会話が出来る...らしい。これは自由な世界だ。
2021.3.13.NHK WEB NEWS