病院も医師も看護師もその他のスタッフもアイデンテティを変えるというのは不可能に近く難しい。診療内容が高度になればなるほど(専門性が要求されるので)何でも引き受けますという状態は維持できない。医療要求が多様化しているのでそれにすべて応じなければならないという論理は成立し得ないのが現状。
看護スタッフを「何でも屋」にして自分の出来ないことを看護師に実行させる、という方法は「明治時代の使命感を強要する」やりかた。ナイチンゲールさんが示したものは「科学性」。科学的な思考方法と実践。「自己犠牲」ではない。
2021年1月29日:毎日新聞電子版
本田宏先生は郡山市(安積高校)出身。原発事故対策の時からその考え方に賛同している。本田氏の「何が医療を崩壊させるのか」という“論”に注目している。それらはパンデミックといわれる状態の時に”社会の本音”として出現してくるものだ。
現在の医療状況をよく見るには、やはり、医療の歴史を見るのが良いかと。
音楽にも絵画にも人の考え方の流れがある。今更なんだと言われるかも知れないが。
並べてみると面白いでしょう。郡山市立美術館は今、Muchaの特設展を行っています。