せせらぎの小道:皇帝たちの中国

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2020年10月24日(土)実生30年、栃の木、の秋。スタジオZAZA.

写真中央の西日に映えている樹木が実生30年の栃。後の境界を示す松の木が栃の成長を抑えている様子なのでその枝を何とか処理したいというのが店主の願いと聞く。

コローの描く風景画の樹木ってこんな感じでなかったかな?

 

岡田英弘著:「世界史の誕生」「誰も知らない皇帝たちの中国」。岡田氏の奥様、宮脇淳子著:「皇帝たちの中国史」、による。

 

倭王多利思比孤(わおうたりしひこ)の使節が隋に朝貢した。この時持ってきた(持って行った)国書が、有名な「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや、云々」「ひいずるところのてんし、しょをひぼっするところのてんしにいたす、つつがなきや、・・・」というもの。

隋の煬帝(ようだい)はこれを覧て悦ばず、鴻艫卿(こうろけい)(外務省儀典課長に相当する役職)に「蛮夷の書に無礼なるものがあれば、復た以って聞するなかれ」「ばんいのしょにぶれいなるものがあれば、またもってぶんするなかれ」、「もう取り次がなくてよい」と言ったという。

 

この国書は、日本史では聖徳太子が送った国書ということになっているが、これは嘘である。送ったのは太子ではなくて、男の倭王である。しかも、「日本書紀」には、こんな国書は載っていない。

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いずれにせよ、有名な「日出づる処」の国書を送ったのは、聖徳太子ではない。

 

秦の始皇帝統一国家を創るために各種政策を実行した。文字と発音も統一しようとした。(いわゆる漢字の原型)。これ以外の字で書かれた書物を焼き払った。いわゆる「禁書」。

宮脇氏によると、これは後世、文明破壊・他の思想禁止、のように悪く言われるが、実は、文字統一を主な目的とする措置だった、ということです。

 

岡田:宮脇両氏の中国史に関する考察は「目から鱗が剥がれてくる」感がある。

 

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