せせらぎの小道:東軍殉難者慰霊碑

母成峠の一角ではあるがまことに目立たないところに東軍殉難者慰霊碑がある。会津を守備する目的でこの峠を守ろうとしたが叶わず戦死した兵士達の慰霊碑である。

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戊辰線役 東軍殉難者慰霊碑 松平勇雄 書

松平勇雄さんは元福島県知事、松平容保公の御子孫。

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埋葬地側の碑文。慶応4年8月21日は太陽暦1868年10月6日のこと。

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更に母成峠の戦いの碑文。

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石筵、離山、萩岡、銚子ヶ滝、和尚山(櫛形山)、安達太良山とお馴染みの山名地名。

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戦死者と所属する藩名、部隊名を明確に読み取ることが出来ます。それは次回。

 

2020.10.13.追加

碑文:戦死者

会津藩 三十八名

小林 兵馬 小林 祐之進 秋山 牧太郎 渡辺吉三郎 原 政治 増子惣左ヱ門

渡辺 一八 中村 新六 山本市之丞 山口 友記 柿田政太郎 宮下繁之助 

鈴木 与七 橋本利右ェ門 鳥居秋之助 小林 米蔵 浅野浅次郎 渡部己之吉

吉田 長治 村松栄五郎 横山 新平 石山 万吉 磯田 藤治 山口新次郎

山田 作治 早川 留吉 菊地 徳蔵 村松栄次郎 兼子 進  兼子 雄吉

菊地源四郎 村松忠三郎 野村 六郎 村松栄次郎 横山新太郎 高橋利左ェ門

目黒久次郎 梶田 銀蔵

二本松藩 八名

八木文三郎 松本織之助 滝川力右ェ門 松田久右ヱ門 大森 此母 青山又十郎

佐野喜代治 種橋 荘吾 

唐津藩 六名

市川 熊雄 吉倉(冕)三郎 水野忠右ェ門 高須大次郎 田部鉄三郎 吉川七之助

新撰組 六名

鈴木 錬三郎 千田 兵衛 木下 巌 漢 一郎 加藤 定吉 小堀誠一

 

昭和五十七年十月六日 母成両碑建設実行委員会建立 会長 秋山 仁市

 

唐津藩六名というのが気になった。北九州、佐賀県

 1817年、陸奥国棚倉より小笠原長昌が6万石で入り、小笠原の支配で明治時代を迎える。唐津藩最後の藩主小笠原長行は幕末期に老中、外国事務総裁を兼任して幕政を担った。しかも1868年の戊辰戦争では旧幕府軍に与して函館まで転戦するなど、最後まで幕府に忠義を尽くした人物である。

しかしこのため、長行を歴代藩主として数えず、その養父である小笠原長国をもって最後の藩主とする資料も多い。

 

唐津藩6名の戦死者に納得する。