せせらぎの小道:中條ユリのこと

中條ユリのこと。

昭和44年1月20日発行 第12刷 貧しき人々の群他2篇 岩波文庫 より

解説:蔵原惟人

 宮本百合子は1899年(明治32年)2月13日に東京で生まれた。父は米沢藩の家老で後に福島県下で開拓の事業に当たった人(中條政恒)の子として生まれ、後に有名な建築家となった中條精一郎であり、母はこれまた、佐倉藩の重役で明治時代の有名な学者である西村茂樹の娘であった。百合子は長女で、本郷誠之小学校、お茶の水高等女学校に学んでいる。

11歳の時にすでに小説を書き始め、女学校時代にすでに多くの詩、小説、戯曲、評論などを書いている。

1910年(明治43年):この頃のことを記している。

 夏休みに小説の処女作を書いたが、いつの間にか何処かへなくしてしまった。

段々手当たりばったりにいろんなものを読み始めた。「平家物語」「方丈記西鶴(!)などを盛にうつしたり、口語訳にしたりして手製本をつくった。

与謝野晶子の「口語訳源氏物語」のまねして「綿木」という長編小説を書いた(尻きれとんぼ)。森の魔女の話も書いた。

お茶の水の女学校もつまらない。陰気な激しい心になって暮らした。よく学校へ行くのをやめたり早退けしたりして上野の図書館へ行った。・・・

一葉だの、ワイルドだのの影響があった。母がある時土産に二冊の本をくれた。アラン・ポウの傑作集だった。・・・・

女学校の4年頃(*?)からロシア文学に熱中しだした。トルストイが最も自分を捕らえた。(*私が中條ユリ日記を読んだ感想からすると、女学校に入る前からロシア文学に深い興味を示している)。

 

中條ユリは幼年の頃から祖母の住んでいた福島県下の桑野村に出かけていったが、その見聞を集めて1916年、「農民」という小説を書いた。これは現存していない。

これは「貧しき人々の群」の原型となったものである。

 

ウイルス感染症の原則:子供と健常者がウイルスを運び高齢者が被害を受ける。

2020年10月3日福島民友記事より

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ワクチンその他の感染対策で高齢者が第一番目にあげられている。大切なことではあるが政治的な発想でしょう。高齢者は治療において手厚さが要求される、予防措置においては子供と健常者(若者)が重視される。