せせらぎの小路、中條百合子

2020年9月10日(木)毎日新聞電子版

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薬剤の治験というのは二重盲検法による判定方法のこと。Double blind test.

プラセボ効果や観察者のバイアスの影響を除外して薬剤効果を判定する方法。

 

新型コロナ感染症は国の指定感染症として厚生労働省管轄で対策が推し進められていたが、感染の拡大に伴って国の対策では間に合わなくなってきたという現実が出てきている。民間の医療機関にも協力が求められています。頭を悩ましている。

 

医療機関を運営している当病院の基本戦略を確認しておく必要がある。その上で戦術を練る、という方法が効果的と思うからです。

基本戦略①:標準予防策:移らない移さないという防衛方法。個人の意識・知識が問われる。予防策のための潤沢な物資が必要。

基本戦略②:診療形態の分離:通常の診療と感染対策の診療を分離する。

 不完全だと院内感染を引きおこすリスクが高くなる。プレハブとかテントを活用した

診療がそれに当たる。あるいは院外のスペースを改造する。

基本戦略③:「密」を避ける:患者を限定する・診療時間を限定する。

基本戦略④:行政との任務分担:蛮勇をふるって多くを失ってはならない。

 

①②③の基本戦略をもとに戦術を練るわけですが、完璧な戦術は無いので、市中感染が拡がってきたら、ある程度のこと?は、覚悟する必要がある?。やむを得ないことだと言って、少しでも妥協すると、すべてを失うことになる。

さらに今秋あたりから通常のインフルエンザが流行し、コロナ感染症がこのまま続くと仮定した場合、私見ですが、1にコロナ、2にコロナ、3,4が無くて5にコロナという考えが必要になるのではあるまいか。インフルエンザにはワクチンと治療薬が曲がりなりにも有り、心理的時間的余裕が有るから。

コロナウイルス抗原検査とインフルエンザ抗原検査が同時にできるキットが開発されているので、これを利用すれば混乱は少しは防げる。

私たちの役目は、職員と職場を感染から守り抜く、事だと思っている。

 

中條百合子 : 今から中條ユリさんは中條百合子(ペンネーム)となる。

 

1899年(明治32年)2月13日 生まれ。 早生まれで、学年と年齢が合わないのではと思うときもあるが、それはこのせいです。また日記などに本人が数え年で表現しているときもある。

1951年(昭和26年)1月21日 没。

百合子は東京女子師範学校附属高等女学校(現・お茶の水女子大学附属中学校・附属高等学校)に1911年に入学し、在学中から小説を書き始めている。日記などによると坪内逍遙の指導を熱心に受けている。

1916年(大正5年)、日本女子大学英文科予科に入学早々、中條百合子の名で「貧しき人々の群」を中央公論9月号に発表し、注目を集めている。

同作は子どものころから夏休みに遊びに行っていた祖父(中條政恒)の住まう開拓村(桑野村)を舞台としたもの。

 

1916年7月31日(宮本百合子日記)

 今日「中央公論」を買ってきてかざる。最後のところに出て居る自分の名と作品の題とが、すべてよその人のものの様に思われる。さほどうれしくもない様な気がする。けれどもうれしくないのではない。或る一つの力が私のうれしさをどこかで押さえつけて居る。

 

*9月号は8月に発売されます。百合子は明日発売される予定の「中央公論」を今日買い求めてきた。

 

宮本百合子日記

 {七月の感想} 今度私の処女作が「中央公論」に出ると決まったと云うことは私の生涯のうちで最も意味のあることである。私のほんとの生活はこれから始まろうとして居る。私の光輝ある生活は、私をそしり、あなどり、或意味に於いては自分たちの仲間として共にしなかった愚かな者共の前に始められようとして居るのだ、私の戦は始まろうとして居る。私は勇気に満たされて居る。私の鼓動よ!たしかにつよくなれ!私の頭よ!強く勇ましく、かしこく働いてくれ。私はこの世界に、自分の誕生日が如何に誇るべきものであるかと云うことを示さなければならない。

 

*中條百合子の怒濤の進撃が始まった。