郡山看護専門学校講義の準備。解剖生理学の部分を受け持っている。毎年思うことがある。肝臓の構造はどのように講じたら旨く伝わるものかと。特に門脈と類洞(るいどう)。感染症と免疫の項を講じている七海さんは、感染症のところが毎年少しずつ変わっていると言う。来年度はきっとコロナ対策に頭を痛めることでしょう。
宮本百合子日記に戻る。(この時の名前は中條ユリ)。
1914年(大正3年)1月3日(土曜) 晴 暖、風
久方振りに来た人達は女のいそがしいのも迷惑なのも忘れて又そんなことなんか考えもしないでさわぎ散らして居た。文蔵が帰ると間もなく文科の久米(久米正雄)さんが来る、夜は古橋さん、トランプをしたあと新しい女について又今の文学等について一時半まで話し合った。芸術と云う小さなかこいの中ほか見ないほど真面目と云うよりも、夢中になって久米さんは芸術を愛している居る人だ、相当に考えのある人と言う事は間違いない、今夜は私は大変に考えなければならなかった。文学は純文学として価値のあるものがいいかそれとも多方面から避難のないものがいいのか、大よそは分かって居るが考えなければならない。 (中條ユリが155才になる年の正月のこと。久米正雄も中條ユリも、東京に住んでいる。久米正雄の文学の方向、中條ユリの方向を暗示しているような日記です)
当時の社会状況を知る上で年表を見るのが有効かと思う。
1904.2.8.~1905.9.8. 日露戦争
1910~1920年代 大正デモクラシー。民主主義、自由主義の運動、風潮、思潮。
1914.7.28.~1918.11.11. 第一次世界大戦 この日記の大正3年は日本海海戦後10年
1918. ロシア革命
1918.~1920. 1918年パンデミック(スペイン風邪)
死者1700~5000万人(推定)、確定感染数 5億人(推定)
最初の発生:不明 最初の報告:アメリカ合衆国
さらに日記を続ける。
1916年(大正5年)1月4日(火曜)
久米さんの所から「金井博士とその子」と云う劇を送って呉れる。一番音彦と云う息子と、巴子が一番よく出て居る。一番力を入れて書いた人物だからでもあろうけれ共恋心の芽生のある巴子と、メフェステックな音彦と、おっかけっこのおとぎ話はいかにも印象的な面白いものである。兎に角「牛乳屋の兄弟」より一番何となし劇的効果のある作である。
それにつけてよこして呉れた手紙は又私どもの感情をかき乱すものになった。無同情な年長者の心に悲しくさせられる。夜父からの贈物の花瓶を見つける。
1916年1月277日(木曜)
「読書」近代思想16講。 「近代思想16講」は有益なものである、少なくとも私にとっては。レオナルド、ダヴィンチの「愛は智の娘なり」という言葉は今の私を非常によろこばせる。序の中の霊と肉の調和、自愛と他愛の最もよき折合、イプセンの第三帝国を建設すべく〇〇〇努力して居ると云う事を明らかに知り得た。
頭が疲れて居る様ではあるけれ共私は快い。漸々「貧しき人々の群」を書き出せた。
一生懸命書けば良くなると云う信がある。
ようやく「貧しき人々の群」が軌道に乗ってきたか?
ここで久米正雄の戯曲「牛乳屋の兄弟」が出てきました。これは後に改められて「牧場の兄弟」という題名で出版されている。この中に炭疽病のことが出てくるので次回にでも、、、。それにしても久米正雄さんはデリカシーに欠けていたのか、中條ユリのお気に召さない様子です。
それと石川啄木が赤痢(法定伝染病)のことを書いているのでそれも次回。