郡山を整理する

あっちこっちの話をしているので、今後のためもあり、まとめる意味で、郡山を整理する。

歴史 : 古代では7世紀の安積群設置以来、安達:田村両郡が10世紀に分郡されるまで、現在の二本松市田村市を含む広大な地域の中心地として(安積郡は)機能していたとみられ、中心市街地直下に位置する清水台、作田、虎丸遺跡が関係する遺跡として考えられている。また8世紀に石背(いわせ)国が設置された際には方八町に国府が置かれたという説がある。

当時の古代律令制度のもとで、郡の官人(郡司)が政務を執った役所のことを郡衙(ぐんが)というが、「郡山」という現在の地名は、この郡衙が当地に置かれていたことに由来する。

 

近代 : 

1924年大正13年)9月1日 :郡山町と小原田村が合併し、郡山市が発足

1925年(大正14年)6月1日 :桑野村を編入

1930年(昭和5年)6月5日 :市章を制定する

1955年(昭和30年)3月31日:大槻町を編入 11月15日:巖江村(いわえむら)の一部編入

1965年(昭和40年)5月1日:安積郡安積町、美穂田村、逢瀬村、片平村、喜久田村、日和田町、富久山町、湖南村、熱海町、田村郡田村町と新設合併し、改めて郡山市が発足。これに伴い安積郡が消滅。 8月1日:田村郡西田村、中田村を編入

(私はこの時、大学生でした)(いま桑野村で仕事をしています)

昭和30年代の中頃、私は田村郡西田村立西田中学校(高野中学校と逢隈中学校などが統合された統合中学校)を卒業した。第一期卒業生です。校舎は未完成だったので逢隈中学校に通った。安積高校に入学して、最初は西田から自転車通学。阿武隈川堤に咲き乱れる月見草を見ながらの自転車通学でした。

その時住んでいた場所の住処は、田村郡西田村大字三町(丁)目字谷地。この住処には大変な意味があると云うことには後から気づいた。

 

田村郡の西にあります。田村郡の政治の中心地三春、そこのお城からの距離が三丁の場所で且つ湿地帯。確かに湿地が多くガマの穂が林立している池があった。一丁は60間、360尺。1間を1.8㍍とすると3丁は、、と数えてくるとどうも距離が合わないようだが、、それは深く考えないで、そのように教わった。

阿武隈川の東岸である。少し離れた鬼生田(おにゅうだ)方面は阿武隈川が氾濫すると大きな被害を受ける。阿武隈川は古代の湖の最深部を流れているわけで、3丁目地区はほとんど川岸です。

交通の難所と云われていた小和滝橋周辺は、現在は近代的な橋に生まれ変わって、三春日和田線を安全に通している。この橋を渡って向こう岸に着くと日和田町8丁目、三春のお城から8丁の距離と云うことになる。昭和の大合併の前は安積郡日和田町8丁目であり、阿武隈川田村郡と安積郡を分けていたと云うことになります。

 

三春日和田線を進んで日和田に入りさらに進むと旧街道に合流する。奥羽街道です。三本松を見て(松並木の名残)少し福島の方へ進みますと「安積山公園」に至ります。

そこには山の井地区があり、山の井の清水があり、この辺りを安積山という。松尾芭蕉さんの足跡をたどることが出来ます。安積山は開成山を山というごとく必ずしも高くなくて良い。

安積郡日和田町と安積郡片平村に「同じように呼ばれる山と、山の井という沼?がある」ということが私たちにいろんなこと考えさせてくれるわけです。何せ両方とも本当なのだから、お互いに仲良く喧嘩しましょう。

後日また「おくのほそ道」にご足労をお願いします。

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いま小和滝は桜の名所です。阿武隈川の東岸に桜並木があり、「道も狭しと」ソメイヨシノが降り積もります。その花の向こうに安達太良連峰があり阿武隈川を飲み込んでいるように見えます。

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天神川の水門が見えるところまで行きますと、安達太良連峰。夏、川で泳いだことがある。川の中央に安達太良連峰が来て阿武隈川は安達太良の足下に吸い込まれていました。写真は2020年8月。写真左手、西岸は旧安積郡日和田町八丁目。画面右手は3丁目字馬場。この辺が洪水の怖い場所です。

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三春日和田線を進んで日和田町八丁目。安積山公園は近い。

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新幹線の高架の彼方に安達太良連峰。実は「安積山公園」からも額取山や安達太良連峰が美しく望まれる。雷雨が来る少し前の額取山と安達太良連峰です。2020.8.30.

 

*安積山公園 : 郡山市和田町にある都市公園(近隣公園)。古くから歌枕として知られた「安積山」だとされる山およびその周辺が公園として整備され、ヤマザクラヒメシャガ郡山市はこれを花かつみとしている)等の花の名所になっている。

 

*小和滝橋 : 当地は小和滝と呼ばれる瀬によって阿武隈川の流れ狭く急になることから渡舟での往来が不可能だった。また日和田町側にある左岸が険しい崖となっていることから架橋の難しい地点であった。

1876年に近隣の有志が私財を投じ県へ認可の申請をするも工事の困難さから許可が下りなかったが、1884年に当時の県令であった三島痛庸によって認可され、初代小和滝橋が石橋として架けられた。しかし1889年に洪水により流出、その後1899年に吊り橋として2代目小和滝橋が竣工したが、1902年に流出した。1953年3月、県道橋として3代目の橋梁が完成。全長118.6㍍、幅員4.0㍍で、西側が単径間下路式トラス橋、東側が桁橋で構成されていた。1997年に現在の橋へ掛け替えが行われ、1998年9月16日に橋梁を含む840㍍の区間が小和滝橋工区として新たに付け替えられ開通した。橋梁の総工費は8億220万円。(Wikipedia).