せせらぎの小道

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桑野協立病院近くを流れるせせらぎの小道。地下部と地上部の2段水路となっており、地下部で雨水排水路を流れる水を浄化施設で浄化し、浄化したものを地上部のせせらぎ水路に流している。地下部は防火用水の機能を持ち、防災効果を高めている。

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当病院に入職した頃、理事長の独鈷仁吉さんと小道を散策しながら、宮本百合子の話をしてもらって、水車小屋の説明を受け(現在は水車小屋はない)、郡山女子大正門を過ぎ開成山の花見をし、また同じ道を戻ってきた事があった。

せせらぎの小道といえば百合子、百合子といえば桑野村、そして処女作「貧しき人々の群」

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この小説を何度か読んだ。優れた写実性を持ち、物事を透視する力がある。瑞々しさに胸がえぐられる。百合子17才。

 

1.冒頭

 村の南北に通じる往還に沿って、一軒の農家がある。人間の住居というよりも、むしろ何かの巣といった方が、よほど適当しているほど穢い家の中は、窓が少ないので非常に暗い。

 三坪ほどの土間には、家中の雑具が散らかって、梁の上の暑そうな鳥屋では、産褥にいる牝鳥のククククククと喉を鳴らしているのが聞こえる。

壁際に下がっている鶏用の丸木枝の梯子の、糞や抜け毛の白く黄色く付いた段々には、痩せた雄鶏がちょいと止まって、天井の牝鶏の番をしている。

 すべてのものが、むさ苦しく、臭く貧しいうちに、三人の男の子が炉辺に集まって、自分らの食物が煮えるのを、今か今かと、待ちくたびれている。

 

15.

 町の婦人連は来た、金を撒いた、そして帰って行った。

 只それ丈の事である。けれども其の為に、狭い村中の隅から隅まですっかり搔き廻されて仕舞った。

 子供らは、盆着を着せられて、村に只一軒の駄菓子屋の前に、群がってワヤワヤ云って居る。

 大人どもは、貰った金を、何にどう使うかと云うことで夫婦喧嘩や親子喧嘩をして、互い同士の嫉みが向う三軒両隣に反目を起こさせた。

 

19.(終章)

 私は、お前方の前には、罌粟粒(けしつぶ)ほどもない人間だったのだ。お前方には、気に入らないことも馬鹿馬鹿しいことも沢山したかもしれない。私は、今まで尊がられていたいわゆる慈善だとか見栄の親切だとかいうものをお前方のためを思うばっかりで、散々に打ち壊した。追い払ってしまった。

 私の手は空っぽである。何も私は持っていない。このちいっぽけな、みっともない私は、ほんとうに途方に暮れ、まごついて、ただどうしたら好いかしらんとつぶやいているほか能がない。

 けれども、どうぞ憎まないでおくれ。私はきっと今に何か捕まえる。どんなに小さいものでもお互いに喜ぶことの出来るものを見つける。どうぞそれまで待っておくれ。達者で働いておくれ!私の悲しい親友よ!

 私は泣きながらでも勉強する。一生懸命に励む。そして、今死のうとするときにでも好いから、ほんとうの打ちとけた、心置きない私とお前達が微笑み合うことが出来たらどんなに嬉しかろう。どんなにお天道様はおよろこびなさるか?

 

善馬鹿の死骸は夜になってから見つかった。

隣村の端れの沼に犬を抱いて彼は溺れていた。

沢山の小海老の行列が、伸びた髪の毛の間を、出たり入ったりしていたという。

 

1916年(大正5年)3月18日(土)百合子の日記より

 とうとう「貧しき人々の群」脱稿二百二十一枚。私は最後の一節を泣きながら書いた。如何に深い喜びと悲しみが私の心を領した事であろう。

厚くなった結果を見ながら一月の努力の結果を深く感謝したのである。

今までのどれよりもよく出来た事は信じるけれ共はたしてよいかどうかと云う事はうたがわしい。夜の一時半風呂に入りながらどの位私は泣いた事であろう。

 

宮本百合子の小説の一部を抜き取っただけのブログです。が、何かものを書いて、読み返してみるとき、なんと嘘ばっかり書いている事よ、と、自分ながら情けなくなる事が多いこの身としては、17才の中條ユリさんの文には胸をえぐられるのです。