2021年4月30日:毎日新聞電子版
最近日本国内では死者が1万人を超えたと報道されている。全世界では先の大戦の死者数よりも多い。
2021年4月28日:民友ニュース
福島医大は新型コロナウイルス感染症の治療に使用することが出来るIgA抗体の取り出しに成功したと報じました。
1986年4月26日未明(現地時間)チェルノブイリ原発事故発生。
ゴルバチョフ政権は火災事故と表明。周辺の国々からのクレームが相次ぎ原発事故を認める。ソヴィエト連邦崩壊のきっかけとなる。
ワクチン接種について。管義偉総理は政府の対応の遅れを認め、昨日謝罪を表明。
食糧自給率の低い国ほど医薬品などの開発も遅れるように見えるが如何なものでしょうか?
グローバリゼーションはいろんな事を考えさせてくれる。
画一化よりも多様性を容認する体制の方が一見して良さそうに思う。全体主義よりも自由主義の方が良いとする考えが基になっているのだが。
自由を限りなく求める人がいる反面、隷属を求める人もいる。個人のなかにも双方の要求がある。そうするとサドとマゾは実は同じではないかという考えが出てくる。
人の有り様というのは摩訶不思議なものです。
2021年4月16日:毎日新聞電子版
歌人の美原凍子さんはその歌のなかで「原発という蜜に群がる蟻、逃れる蟻」というふうに人間社会のことをアリに例えた。群がる場合を推測してみると、責任感や義務感を標題として「蜜」を得ようとする姿が想像される。それも多大な犠牲を払うと云うことを忘れ、密の甘さだけを求めているように見える。「甘さ」は今現在の群がる人のもの、リスクは後世が背負う。世界中が同じ考えなのでしょうか。
例えるという方法のことです。「擬人化」という方法がある。
最近、清水 茜さんがだしている「働く細胞」「働く細菌」という漫画や動画を見て感心している。実に良く動物の細胞などの働きを学び、それぞれに適切なキャラクターを持ったヒトを配置し物語としている。俗に言う「ハマル」という状態が今の私。
腸内細菌のことも考えさせるものがある。この細菌の群はコレステロールと同じく「善玉菌」と「悪玉菌」に別けられているのだが、最も数的に多いのが(6割以上)日和見菌と総称される細菌群。この日和見菌の動向によって腸内の健康状態が左右される。
要するにキャステングボードを握っているのが日和見菌と言う事になる。善玉菌だけでは腸内は良くならない、悪玉菌だけではそう問屋が卸さないという社会だ。腸内社会の恒常性を保っているのは日和見菌と言う事になるか。
すべてが解ったようなことを言っているのですが、実はこの日和見菌という細菌群の「個々の姿」を知らないだけなのだとも思っている。個々の細菌にはそれぞれに生きる姿があって、それぞれに確たる働きをしているのだが、それらを私たちが知らないで「日和見」などと云う軽蔑的な形容詞をつけているのでしょう。
こういう姿は人間社会にもよくあてはまる。善悪二元論だけで(ゾロアスター教のように)すべてが推し量れるものではない。
原発のことについてもそう単純に割り切れないことの方が多いのだから、成るように成る、といって日和見を決め込む事もひとつの重要な姿なのだろうが、後世に与える影響に対しては日和見ではありたくない。