せせらぎの小道:ブラームス

2020年11月19日(木)毎日新聞電子版

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ブラームスの小道

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ブラームスの小道からライン川上流方向・行き着く先はアルプス山脈

ブラームスの四つの交響曲、いずれもホルンの響きが印象的。

郡山市民オーケストラミュージックアドバイザー、指揮者岡部富士夫さんはブラームスが大好きです。高校時代はソノシートから響き渡るブラームスを聴いて憧れを強くしたとか。

岡部先生が造り上げるブラームス交響曲は圧巻の感あり。そして服部さんのホルンは遠くアルプス山脈下流バルト海までラインの流れに沿って飛んで行くような気分を味わう事が出来る。

コロナ感染症が広まるなかなので市オケの合同練習もままならないと聞く。12月には観客を限定する形で演奏会が開かれる。是非とも予防策を昂じながら出かけたい。

 

第71回公演、特別演奏会。

 

2020年12月6日.日曜日。郡山文化センター。午後2時開演。入場無料。整理券が必要です。

プログラム。

ヨハン.シュトラウス2世。ワルツ「南国のばら」

グリーク「ホルベアの時代から」

ベートーベン「交響曲1番」

 

指揮 岡部富士夫「市民オーケストラミュージックアドバイザー」

 

 

せせらぎの小道:ヨーロッパの事情

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2020年11月18日 NHK WEB NEWS

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「外出制限はやるべきだ。警察がもっと厳しく取り締まることを願っている」という声が聞こえるということは深刻の度合いを示している。

オーストリアの感染状況

 人口およそ890万のオーストリアでは、先月以降、感染者の数が急増していて先月下旬には1日の感染者の数が5,000人を超えました。

オーストリア政府は、今月3日から、飲食店の店内営業の禁止などの措置をはじめましたが、その後も、感染者の数は増えていて、今月11日には、1日の感染者の数が9,000人を超えてこれまでで最も多くなっています。

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フランス

 ヨーロッパで最も感染者数が多いフランスでは、1日の感染者数が9月には1万人を超え、今月6日には6万人を超えて、最も多くなりました。政府は、先月17日からパリなど一部の地域で午後9時以降の夜間の外出を禁止し、30日からは、全国で日中の外出も制限するなど、段階的に厳しい措置をとってきました。この結果、1日の感染者数は今月16日には1万人を下回るなど減少傾向になり、政府は一連の措置による効果が出てきているとしています。

しかし、重症化する患者は減っておらず、16日の時点で全国4,900人あまりがICU=集中治療室で治療を受けていて、感染拡大前の集中治療室のベッド数、およそ5,000床のほとんどを新型コロナウイルスの患者が占めています。

 

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ベルギー

 ベルギーは、ヨーロッパの中で感染拡大が最も深刻な国の一つで、人口のおよそ20人に1人が感染しています。夜間や早朝の外出禁止や飲食店の原則営業停止の措置に加え、今月2日からは生活必需品を取り扱う店を除いて全ての店舗の営業が禁止されています。

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私たちに出来ることは治療を考えるより予防を優先して考えることなのですが、我が国の疾病に対する人々の考えは予防よりも治療が優先される歴史的状況がある。深く考えると医療というものが「御上のご意向による下されもの」として捉えられているところがある。人々は「私がコロナにかかったら治療してくれんのがい」、「行ったらすぐ検査してくれんのがい」という言葉でそれを表現する。医療機関は御上の手先?なのです?

そういう心配をするより、自らの状況判断で、何とか予防できる方法を探した方が楽だしお得だ。今から一生懸命になって免疫力を高めようとしてもお金がかかるだけで目的は達成されません。くれぐれも宗教に頼らないことです。信心が浅いと感染しますから。

ひとっことで言ってしまうと「公衆衛生」という考え方に疎く、そしてまた御上に管理されていると安心できるという心理がある。公共機関に(自分たちを取り締まるところなのだが)取り締まられていると安心してしまう不思議さがある。自分たちが活用する機関とは思っていない。もっと狡く賢くなあれ!

警察や自衛隊を頼るような状況は最悪です。

 

定性と定量

 〇〇酵母、××ワクチン、□□体操、何でも良い。免疫力を高める、血液循環をよくする、老化防止をする・・・・こういうものは定性と呼ぼう。

がん細胞を死滅させるほど免疫力を高める、脊柱管狭窄症を元に戻すほど血液循環を促進する、60才のままでいられる程の老化防止作用がある・・・。こういうものを定量という。

従いまして、定性というのは噂話でも何でも良い。単なる理屈。定量には科学的裏付けエビデンスが必要デンス。

ここを使い分けられないと議論というものが成り立ちません。

 

総入れ歯の方がいました。歯はいつまでも若いです。しかしそれ以外は老化します。結果的には“お化け”になります。恐ろしい話でしょう。

脳の老化を止めました。体は老化します。どちらかが病気にならないのがおかしい。

脳トレは気をつけて頑張って下さいよ。

 

駄洒落

ルビーの指輪」・・・く・も・り・ガラスの向こうは見えないよ・・・・

「七つの子」・・・カラスなぜ泣くの、カラスの勝手でしょう・・・(志村けん

 

せせらぎの小道:幾世代にも亘る心配事

2020年11月17日(火)毎日新聞電子版

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このトリチウム問題はセシウムと同様、幾世代にも亘る心配事ではある。

おそらく人体に対する影響は私たち一般市民がはっきりと認識できるものではないはずです。何世代かの時間の経過を経た後に、それも統計学的に問題になる小さな事象のように思うし、そうであって欲しいと思う気持ちもある。いわゆる確率的影響というもの。

これは福島だけの問題ではない。全国の原発立地地域に等しく降りかかるものでしょう。あるいは全世界の原発問題とも言える。

せせらぎの小道:日本人の胃潰瘍から

研修医の時代に座右の書としていた疾病論がある。

五ノ井哲朗著:日本人の胃潰瘍胃潰瘍並びに胃潰瘍症の疫学:1977年(昭和52年)新興医学出版社。

 医学的に観ると、胃潰瘍は良性から悪性の間にまたがっている。こんなに幅広い範囲に分布する疾患も少ない。また、社会生活においては、常態から病態の間にも位置している。潰瘍を持っていながら、普通の仕事をし、飲酒もしている人がいる。一方、病臥している人もいる。これが胃潰瘍という名の病気の実態である。

 

*本文は胃潰瘍という疾患の疫学を、夏目漱石のエピソードを交えながら、各方面から論じている。そして・・・。

 

おわりに

 こぶしの花は、不特定多数の木々に、無選択的に、散発的に咲くのではなく、比較的少数特定の、こぶしの木に、選択的、集中的に咲くのだ、という認識を、いつ、どのようにして得たのであろうか。ふと、独りでに思いついたのか、それとも、誰かが教えてくれたのか、あまりにも他愛もなくそれを知っているという事が不思議に思われる。

雪が消えると、やがて、こぶしの木にこぶしの花が咲くというのも、理由があればいつでも、胃潰瘍症に胃潰瘍が発生するというのも、認識の質としてみれば、そう変わるところはあるまい。何故、その一方だけが、迂遠で煩雑な論証の過程を必要とするのか。

 

*五ノ井先生の時代では(私の研修医時代では)ヘリコバクター・ピロリの認識がなく胃潰瘍の一部は感染症であるという認識もない。

 

*私はこの胃潰瘍症という言葉をウイルス感染症という言葉に置き換えて考えてみた。数あるウイルス感染症の中の一つが新型コロナウイルス感染ということになる。あるいはCOVID-19感染。

天然痘ウイルスと人類の歴史であったり、法定伝染病と日本人の現代史であったり、そのようなものが次々と浮かんでは消えして、人々の気持ちの不変性と普遍性が解りそうな気持ちになったりして、喜怒哀楽の観念が一挙に湧き出てきます。

ひとは何故に簡単に・単純に手を取り合うことが出来ないものかという疑問が残る。

せせらぎの小道:WEB会議

2020年度第3回支部長会議 11月14日(土)

会場:組合員センター多目的ホール、第2会議室,サポートセンター笑顔(小野)、

 ココット(矢吹)。

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蜜を避け距離を置いて会議を開催する。遠隔地からの参加も可能。こういう形式がずっと続く。

 

広野町の帰省対策。2020年11月14日:NHK WEB NEWS.

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こういった政策が欲しいと思います。

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せせらぎの小道:衝動に駆られる

2020年11月12日(木)晴天。屋上から観た安達太良の姿に感激。午後大玉村へ出張する。

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毎日毎日、異なった姿に見えるので撮影する方は忙しいことです。

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未だ刈り入れ途中の田園が拡がる。最も雄々しい安達太良連峰。大玉村蛇ノ鼻公園近く。

この天気ならさぞかし大安場古墳から眺める奥羽山脈は素晴らしかろうという予想を立てる。

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午後4時過ぎ。大安場古墳一号憤より安達太良連峰、吾妻連峰川桁連峰。まっことなる絶景ぜよ。

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右端に額取山。左端・那須連峰の一端が見える。那須連峰は郡山からすると西南西に位置する。夕陽は更にその西に沈む。

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那須連峰方面。条件の良いときは三本槍が確認できます。(画面左寄り)。

阿武隈山系を観ようとすれば晴天の日中に安積町の田園の中に行くのが良い。

 

大安場古墳は古郡山湖を想像するにも、安積原野の来し方行く末を考えるのにも最適の場所に存在するとみて良い。私にとってみれば実に不思議な地点です。

 

経済を優先する=福祉を優先する、ということにはならない。

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2020年11月12日(木)毎日新聞電子版。

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2020年11月13日(金)毎日新聞電子版。経済優先とグローバリゼーションの結果。

 

せせらぎの小道:明治のパンデミック

明治10年 西南戦争 西郷隆盛 城山にて自刃。

明治12年:海外から入ってきた伝染病コレラが大流行した。当時は原因も不明、治療法も確立してはいない。虎列刺(これら)と表記され虎の化け物か何かに見立てられて恐れられた。明治時代には何度かコレラの流行があったが、12年の流行がひどかったようだ。

国内で感染者16万人以上、死者10万人以上。

西南戦争の死者は約12,000だったので、その約8倍の死者数が記録された。

コレラ菌の発見はこの4年後。発見されたからといってすぐに治療法が確立されたわけではない。

 

コレラ患者が発生すると、警察が強制的に家に押し入り患者を隔離した。

これらの様子は石川啄木が「赤痢」という小説で記録している。また大正初期に中條ユリが日記の中で東京でのコレラ流行を遠くから観察している。

 

コレラ祭り」が各地で行われるなど神頼みも多くあった。流行の渦中に来日したアメリカの元大統領グラントは、コレラ流行により神戸に入港出来ず、京都訪問を断念せざるを得ず、大いに悔しがったという。

 

立川昭二著「明治医事往来」より

明治12年8月8日「朝野新聞」

新潟港の貧民米価暴騰に狂ひ立ち、大挙米商を襲撃ー次々と放火。

新潟警察署長は県令に上申書を提出。暴動の原因として・・・。

第1条:米価沸騰

第2条:虎列刺予防に羅る魚類販売禁止

第3条:虎列刺患者を避病院へ送ること

米価高騰に不満を抱いていた民衆が、コレラ対策を機に暴徒化したと考えている。

詳細

 8月5日12時10分、新潟区祝町(現新潟市)願隋寺近くに屯集した民衆は、コレラ死亡者を護送してきた巡査2名を打擲し、その棺桶を奪い取り、寺の鐘をうちならした。数百人にふくれあがった群衆は、金持ちの家に乗り込んで焚き出しを命じ、断るとその家を散々に打ち壊した。半鐘もなり出し、火事場騒ぎのようになった。

 暴徒となった群衆はますますあばれまわり、米屋の屋敷をつぎつぎと襲っていった。本署から大勢の巡査が駆けつけ、佩刀と官棒を振りあげて鎮撫にあたったが、暴徒は両側の屋根に駆けのぼり、瓦を取って投げ、薪棒や鳶口で抵抗を始めた。是非なく巡査は抜刀して進み、暴徒もついに適しがたく、四散していくところを、首謀者をはじめ7名を捕縛し、午後3時30分ようやく沈静した。

 

 *避病院の様子、巡査が民衆を取り締まるやり方などは石川啄木赤痢」に詳しく記されている。そして人々が神頼みに走る様子も。

 

当時は法律で、コレラ患者が発生すると、警察が強制的に家に押し入って患者を隔離した。そのお先手となったのが医師であり看護婦であったわけです。

それらは御上の御威勢を傘に、消毒・隔離を強行したものだから、こういった防疫行政が、たまたま御一新への夢敗れた民衆の誤解・反感・憤激をかった。

サーベルをガチャガチャさせて警官が来る。一緒に医療団がやってくる。とさあ大変。

患者移送をめぐるトラブルは発生するは、デマは広まるわ。医師が消毒用に石灰を川に撒くと、「毒薬を川に入れている」と勘違いをした住民が医師を撲殺したこともあったそうです。

火葬場を建設しようとすると、付近の住民が「煙を吸うとコレラになる」と役場に押し寄せて暴動になったり・・・・。

 

明治18年:日本初の下水道が東京神田に完成した。

 

情報を正しく伝える、それを咀嚼できる住民がいる、という条件が揃うまでには永い時間がかかった。コロナ感染症に対してはどうだろうか?

 

三下り半で病院へ妻さられ

 「三下り半」は離縁状の書式が三行半で書くように定められていたから、離縁状の異称とされた。それと下痢が3回半続いたことをかさね、妻が避病院へ連れ去られることと 離縁とをかさねている。